十歳の夏休み

アメイロサンサン




 よろよろした足取りで、大きな歯車ががらがらと音経てて回る駆動室へ通じる木の階段を降り、からりとくぐり戸を引いたのは、桃色のお仕着せの娘であった。ポニーテールの頭を木枠にぶつけないよう用心しながら、湯屋重要室のひとつであるボイラー室へと身を滑り込ませた。手にはエビ天丼の載った盆、そしてフキンをかけた岡持ち。
「おじいさん、ご飯ですー」
 声をかけてボイラー室の主から空の丼を受け取り、かわりにやや冷め加減の中身入り丼を渡す。
「チビども、メシの時間だ」
 乾いた木槌の音が響いて、忙しいボイラー室に休憩時間が訪れた。わいのわいのと小さな手を振り上げ、千尋にご飯をねだるススワタリ達。
 本来ならこの仕事は千尋の姐役であるリンのものなのであるが、千尋が油屋に働きに出ている間は彼女の仕事となっていた。
 普段はほやんとした表情をしている千尋なのだが、今日はなにやらススワタリ達を見て、満面の笑みを浮かべた。これからなにかわくわくする物を出すぞ、と言った、少しばかり得意げな笑顔に釜爺は「なんじゃどうした?」と思ったが、もぐもぐと口の中の飯粒を咀嚼するのに忙しい。
 と、そこに帳場の管理人が現われた。
「あれ……ハク、今頃こんなトコに来てもいいの?」
 きょとんと小首を傾げながら、くぐり戸から出てきた人物へと声をかける。名前の前にできた微妙な空白は、今が営業時間であるからだ。
「今日は珍しく暇だからね。すこしばかりお爺さんに言伝もあったので」
 騒動もおきそうにないし珍しく平和な雰囲気があるから、とハクは続けた。懐から紙片を取り出しボイラー室の主へ手渡すと、その動きを見守って固まっていた千尋の元へと向かった。
「千尋、手がとまっている」
 右手に岡持ち、左手でフキンをどけようとしたまま固まっていた千尋の手元を覗き込みそう告げるハク。下を見れば、いっこうにご飯をくれない千尋に向かって飛び上がる様にして催促をしているススワタリ。ぴょこんぴょこんと跳ね、キーキーと鳴いている。
「あ、ゴメン、ご飯ご飯」
 手伝うよと岡持ちを覗き込んだハクは、中身を見て首を傾げた。それを見て千尋は吹きだす。説明を受けなくともわかる、首を傾ける自分のマネをするハクに、よっぽど今日は暇なんだと思う。
「いつもと違う色な気がするんだけど」
 青い金平糖を一粒摘み上げる。着色料の鮮やかな青ではなく、薄い水の色。赤いそれも、やんわりとした櫻色。黄色は滑らかな琥珀色。
「これねこれね! 青いのはソーダ味で赤いのは櫻なの! 黄色いのはシナモン味なんだよ!」
 面白いでしょうと千尋は笑う。
 ソーダは、町で盥に水を張り冷やした瓶入りソーダ水が売られているのでなんとなくわかる。櫻は樹の櫻だろうか。櫻の葉や花弁を塩漬けや砂糖漬けにしたものは確かにある。湯婆婆のキッチンにもあるし、賄場の調味料のリストにもあった。シナモンは言わずもがな。けれどもハクは、そのばらばらの品が『金平糖』の形として目の前にあることに知識と現実が一致しなくて首を傾げるばかりであった。
 バラバラとススワタリ達の上に金平糖をまきながら、ハクも食べてみてよおいしいよと千尋は尚も笑っている。ハクは手にしたソーダ味のそれを口に含んだ。かりかりくしゃくしゃと金平糖が口内で崩れ、甘い糖味とほのかな夏の味がした。
「お父さんがインターネットで金平糖のお店を見つけてね、通販したの。他にも梅味とか甘酒味、メープルシロップ味とかかわったのがあったんだよ」
 ぱらぱらと色鮮やかな雨が降る。青に桜色。琥珀、乳白色、抹茶色、蜜柑色。
「家でお手伝いをするようになったからって、お小遣いあげてもらったの」
 わたし、ここに来る前はあんまり家の手伝いってしてなかったんだなぁって思って、できる事はするようにしたんだ。千尋は金平糖を振る舞いながら嬉しそうに語る。

 そんな千尋を、ハクは目を細めて見ていた。千尋の口から語られる、他愛無い話。遠くになりつつある人の営みが、すぐそばで息づいている。話の半分も理解できなくとも、千尋が嬉しければハクも嬉しい。
 甘い金平糖に隠れたすこしばかり寂しい夏の味に、ハクはそれでも笑った。

 釜爺やススワタリは完全にふたりの世界の外に押しやられていた、平和な油屋の一日。