十歳の夏休み

お こ た




 雪がちらちら空から降って、じんじんと地も凍えを知ろうかと言う季節。
 素足の先は氷の様に冷たい湯屋『油屋』
 お客様のいらっしゃいます場所は床暖房なれど、従業員のすまいは隙間風もひどい場所。
 唯一の人間である少女は、なんとなしに足をさすさすしていたり。
 せめて靴下が履けたらなぁお仕事時間以外で、と考えていたり。


 今日も今日とて、営業時間前のほんの僅かな自由時間に帳場の管理人とおしゃべりしようとその姿を捜した千尋は、ようやく見つけたハクに自室へと誘われた。いくら四季が薄い不思議の世界と言えど、確実に気温は下がっていた。中庭で話をするには人間の子には辛いと竜の子が考えた為だ。お姉様のひとりからもらった薄い綿のどてらを着込んでいても、足元の寒さは変わらないし気温の低下に追いつけもしなかった。
 躊躇いも警戒もなく自室へとついていく千尋。そう言えば、昨年の今頃にはじめてハクの部屋へと招かれたのだったと思い出す。面白いほどになにもない、ハクの性格が丸出しの部屋に思わず笑ったものだ。   和室様式の部屋に、机、本棚、衣装箱くらいの調度品で、整然と片付けられていた。一月くらい後に再び訪れると、調度品に火鉢が増えていて尚笑った。自分の為にいれてくれたのだと思ったら嬉しくなった。
 そして本日、今冬はじめてその部屋を訪れて、千尋は目を丸くした。
「わぁ、おこた!」
 どこから調達してきたのか、炬燵がその部屋の中央に置かれていた。使い込まれた飴色の天板が、部屋のレトロ感を増していた。
「どうしたの、これ?」
 竜は寒さ暑さにはあまり反応しないのだと人から聞いたことがある。ハクもそうであるのならこれは自分の為なのだとわかりはするものの、余計な物を持ちたがらないハクにしては場所をとる迷惑な品ではないかと思うのだ。
「昨年そなたと炬燵に入ったことがあるだろう? その時思いのほか暖かい物だと思ってね」
 覚えていないかいと問いをむけられ、千尋はう〜んと考える。ハクとおこたでお話なんてしたかなぁ? したような気もするし、しなかったような気もするし。瑣末なことまで憶えていられないほど一緒にいたのかなぁ。それともウソついてるの? それともハクの勘違い?
「さぁ、もう暖まっているから、たちつんぼしてないで入りなさい」
 発電所なんてあるのかどうかもわからないこの不思議の町で、その炬燵は炭を入れるものではなくて電気炬燵であった。
 そっと入れた足がじんじんじんわりとして気持ちが良く、千尋は思わずほぅと息を吐いた。実はどれだけ自分の体が寒さで強張っていたのかと、それで思い知らされた。
 温かい湯呑がことりと音たてて目の前に置かれ、向かい側にハクも座る。妙にその姿が炬燵とあっているのかあっていないのかわからなく、千尋は意味もなくくすくすと笑い出した。
「なんか、ハクがおこたに入るなんて変〜!」
 絶対去年一緒におこた入ってないよと千尋は苦しい息の中で主張する。
「……そなたが忘れているだけかもしれないよ?」
 または知らないだけかも、との言葉の続きをハクは飲み込んだ。ふと訪れた女部屋の炬燵の中でひとりうたた寝している千尋を発見して、その寝顔を炬燵に入って見ていただなんて千尋は知らないであろうから。
 えぇ?? わたし、こんな凄い変な事も忘れる程ボケ子さん?! と千尋は打って変わって慌て始めた。笑い始めたのはハクの方。変なとはなんだろう変なとは、とひとりツボに入ったらしい。ひとしきり片方は慌て、片方は笑い続けていた。
「わたしの家ね、おこたないの。田舎のおばあちゃん家にはおこたがあるんだけど、あんまり冬には遊びに行かないから。おこたにゆっくり入ったり寝たりしたのはここでしたのがはじめてなの」
 ねぇどうしておこたで寝たら悪い夢見るのかなぁと千尋は首を傾げた。
「なんか、誰かに乗っかられる夢とか、追いかけられる夢とか見ちゃうの。でね、起きたらだるいし、喉は乾くし」
 寝始めはすーごく気持ちが良いんだけど、長く寝たら寝ただけ寝起きが最悪なの。と千尋は首を捻る。炬燵初心者のハクはまだそんな夢は未経験なので、なんとも返答がしづらい。
「多分、炬燵の熱で水分が奪われているんだよ。寝るのなら温度を下げるか、水分をきちんととりなさい」
 でも、おこたの眠りの誘惑って、ソンナコト考えていられるような余裕なんてないよ? そう言う千尋の目はすでにとろんとしていた。すこし姿勢の悪い背が、天板に頭を寄りかからせる様に丸くなっている。まるでひなたにまどろむ猫の如く。
 そうこうしている間に、本格的に千尋は天板にふくふくほっぺを貼りつかせて眠ってしまった。そんな千尋を、その幼さ加減にやや呆れながらも微笑みを浮かべてハクは覗きこむ。千尋と向かい合い同じように天板に頬を押しつけてみる。頬がひやっとしたのも一瞬で、すぐに下からの熱でほこほことしてくる。あぁたしかにこれは眠りを誘うかも……とぼんやり考えると、いつの間にかハクもうつらうつらとしてきた。足元が温かい、部屋の空気も柔らかい、とてもとても気持ちが良くて……
 千尋は炬燵で寝たら悪夢を見るよと言っていたけれど、この気持ちの良さの向こう側に悪夢などあるはずがないとハクは思った。そう思った瞬間後には、完全に眠りの中へと落ちていた。


 小湯女が一名仕事時間に遅れるのは珍しくなくとも、几帳面な帳場の管理人が遅れてくると言う珍事が起こったある冬の一日。