十歳の夏休み

星に願いを地に花を




 冬の夜空の高さは他の季節とすこし違う。
 りんと冴え渡った空気は光の色を邪魔することなく映しだし、かすかに奏でる振動音すら伝えそうな繊細な闇。
 月の隠れたるその夜は、一際闇が色深かった。微妙な濃淡織り交ざったビロードの夜空にばら撒かれた糠星。
 そんな星空を、花が咲き乱れる中庭から見上げて、どてらにマフラーを首に巻いた人の子が歓声をあげる。
「わぁ、やっぱりこっちの星空はすごいねぇ!」
 口の動きに添って、ほわほわと空気を白く染めている。
「おばぁちゃんちもすごいけど、こっちは比べ物にならないよ」
 本来ならこの時間帯は湯屋『油屋』のかき入れ時で、星空をゆっくりと見上げる余裕なんてなかった。が、本日は月に一度の休業日。千尋は誰に叱られる事なく、首が痛くなるまで上を見上げていた。
「――落ちてきそうだね」
 手を伸ばしてみる。鮮やかに明滅する星達に手が届くかと思って。そして、やはりこの不思議な町でも手が届くはずがないのだ、とくすりと笑った。
「やっぱり届かないみたい」
 ハクにあそこまでつれていってもらってもやっぱり届かないんだろうね、と千尋はようやく星から視線を外した。
「星が欲しいの?」
 そう向けられた問いに、千尋は笑ってかぶりをふる。
「ううん、違うの。星は向こうもこっちも一緒なんだなぁと思っただけ」
 と答えながらもう一度空を振り仰ぐ。
「でも、こっちには北斗七星とかふたご座みたいなの、見当たらないよね?」
 さっきから捜しているのだけれど、と比較的見つけやすいそれらの星座を視線でさがすものの、やはり見つからない。
「オリオン座のベルトもみつからないの」
「あぁ、こちらとあちらではすこし星の配置も違うみたいだよ」
 昔話にまつわる星座もないらしい、とハクは続けた。
「やっぱりすこし違うんだね、ここは」
 なんとなく寂しくなった。あんなにも綺麗な星達は、こちらでは名無しなのだと言う。
 そんな、気分がひしゃげた千尋の視界の隅に、ちらっと流れる光が見えた。ちらっちらっと星が流れ続けて、千尋はその一角を大きく目を開いて見る。
「ハクっハク、あそこ! 流れ星がいっぱい!」
 金木犀を植えている方向に落ちる様に、星が幾つも幾つも流れた。
「冬の流星群だね」
 今日がその日だったか、とハクは呟く。
「ハク! ほら、いっぱい流れ星だよ! お願いしなきゃ!」
 興奮した様に白い水干の袖にすがりつき、ほらほらとはやし立てる千尋に苦笑して、ハクは流れ星を見た。
 暗い穴に輝きながら転がり落ちていくような流れ星はどこの世界でもかわらない。それは、きっと、希望の光。

 あぁ、願わくば、とハクは思う。
 この傍らの小さな命が、悲しみも喜びも、憎しみも愛も、すべてすべてあますところなく受け入れ、その上で幸せだと言える一生をおくれる様にと願う。悲しみから切り離されるでなく、憎しみを抱く事を排除されるでもなく、すべての感情をその時々に燃える星と同じに熱く燃え立たせられるようにと願う。天に輝く星と同じに輝いてあれ。たとえそのすべての横に私がいなくとも。
 やがて彼女の命は地に花を咲かせ、世界のすみずみに行き渡る。空を見上げて寒さに染める頬と同じ色の花を。

 どこに帰るともない竜の子は、たくさんの流れ星にたったひとつの願いをこめて、ひっそりとひとつの名前を呼んだ。
 私は、私の声に答えてくれるまなざしがあるこの時だけを抱えて生きていく。それは、終わりを知るよりも幸福なのかもしれない。