十歳の夏休み

食欲の・・・




 秋と言えば。運動の秋で。芸術の秋で。読書の秋で。
 そして忘れていけないのは――『食欲の秋』で。
 四季などあまり関係ないこの不思議の町でも、今の時期は秋の草花が一番美しく見える季節。そして、秋の食材が一際美味な季節。
 そんななかで、まさしく『食欲の秋』にしてやられた人物が……いたりした。

 ◆◇◆

「た……体重が……っ」
 あまりの衝撃の為に、朝の光がさんさんと降り注ぐ畳の上にお馬さんポーズで突っ伏して、そんな悶絶な言葉を吐いたままあとが続かないのは……普段はすまし顔で颯爽としている帳場の管理人であった。まぁ、現在は、肩の上で切り揃えた見事なおかっぱがとばりとなってその顔を覆い隠してはいたが。
 そんな、どんよりどよどよとした雰囲気をでろでろと振り撒いているおかっぱ少年の目の前には、可愛い人の子から
『わたし、最近体重が気になっちゃって』
 なんて可愛い台詞とともになぜか贈られた体重計が鎮座ましましていた。昨今はやりの体脂肪率までが測定できるものではなくて、昔懐かしいアナログ式の体重計。
 とにもかくにも、今その体重計で、帳場の管理人は有り得ない数字を目の当たりにしてしまって言葉を失っていたのだ。一瞬、そろばんの弾き間違えかととんちんかんな勘違いをしたほどだ。目の前にあるのはそろばんの珠じゃなくて体重計の針だろうに。

 や、普通『食欲の秋』で悩むのは私ではなくておなごである千尋であろうに……っ。

 なんぞと、全世界の女性が聞けばいかなハクであろうとも蛸なぐりにされ、いかな千尋であっても三日間くらいハクを無視するか目の前で泣き出すであろう台詞を脳裏で呟きつつも、まだその姿はお馬さんポーズであって情けないことこの上なかった。
 とにもかくにもハクはショックを受けて固まっていた。全世界の女性に対しての失礼な台詞の次には、ここ最近の食事情が脳裏を横切った。目はぼんやりと畳の目を数えていたが。
 あぁ、たしかに最近、色々色々食していたなぁ。昨年は雨降り続きの冷夏で米も果物も野菜も不作だったけれど、今年は米も果物も野菜も豊作の上に味が良くて食事も進んでいたなぁ。つやつやとした炊き立ての白米の甘いこと甘いこと、何膳でもいける気になってくる。
 それに、油屋で働き始めるまでは食が細かったと言う千尋も今は育ち盛りの食べ盛りになり、なんだかんだと食べ物を持ち込んでくる。この季節なら、今年の豊作も相乗効果になって、最近のおしゃべり時間はなにかしら秋の味覚を頬張っている気がする。桃、梨、林檎、蜜柑、葡萄、柿などの果物系に、蒸かした玉蜀黍にじゃがいも……あと、向こうの世界で『秋限定』なるちょこれぇとも持ち込まれたりすると……あぁっ。
 元から細い娘であり育ち盛りであるので、食べ物をたんと持ち込んでいる張本人は、体重増加など口ほどには気にしていないのだろう。ある意味、すこし太ったくらいが後々こちらが楽しめ……いやいやそうじゃなくて彼女にとっては健康にいいだろう。
 問題はこちらだ。こちらは人とは違う生き物で、育ち盛りなんぞと言う言葉とは無縁の存在なのに、あぁそれなのにそれなのに……針が指し示したあの数字。
 仕事着の水干が少しきつく感じられるのは気のせいだと思っていたのに……水干を洗濯した小湯女が失敗して生地を縮めたのかと思っていたのに。腹が出ているとでも言うのか、腹が?!
 あぁもしかして千尋がこの体重計をくれたのは、最近の私の様子を見ての、さり気ない忠告や励ましだったのだろうか……
 などなど、当の送り主はそこまで気がついても考えてもいないのにぐるぐると考え込んでいる帳場の管理人。
「……これの対策は、向こうの世界の言葉では」
 たしか『ダイエット』と言うのではなかっただろうか。
 そんな無駄知識を掘り返しながら、その『ダイエット』なるものに励もうと心に決めたお馬さんポーズのままな帳場の管理人を、スポットライト間違いなほど白い朝の光が照らし出す。

 あぁでも、一番太りそうなものを持ち込むのは千尋であるし……と言うことは、千尋断ちまでしなければいけないのかぁぁぁ?! 

 と苦悩しているなんて、まだ本人以外は誰も知らない。
 とりあえず、その光景をリンあたりが見れば盛大に馬鹿笑いし、その思考経路を覗かれれば怒られるよりも同情されそうな哀れさを十二分に湛えた、ジブリ初の美少年の、秋の姿であった。





『体重増加を気にしてダイエットをして倒れる千尋ちゃん』ならすこし探せば見つかると思いますが、『体重増加を気にしてダイエットの決意をする帳場の管理人』はあまりいないと思われます。
たまにはハクも苦労しろ。