【00】
序 章





「どうして私は消えなかったのでしょう」
 暖炉の炎が暖かな熱を振りまいている穏やかな薄い闇に包まれたその部屋で、少年が呟く。そこにはなんの深みも悲観も感じられず、ただ純粋な疑問だけが宿っていた。
「竜は水に宿るだけではありません。樹にも宿り、大気にも宿り、大地にも宿り、あらゆるものに宿る。それらが汚され滅せられれば同じく滅するのが定め。私も多くの同胞を見送りました」
 私は宿る河の悲鳴に耐えかねて逃げ出した愚か者ですが、魔法を学ぼうと足掻いた愚か者ですが、消滅の時はすぐに――等しく訪れると思っていました。けれども私は今だ消えない。その理由は、命の源である場からその守護の任ごと逃げ出したからなのか、魔法と言う異物を取り込んだからなのか。またはこちらの世界にいるからなのか――なにもわからないのだけれど。
「生きとし生ける者はなにかしら使命を負っていると言うがねぇ」
 このあたしも。もちろんお前も。生れ落ちてすぐに世を去る小さな命も。生きとし生ける者はその使命を果たし終えたからこそ『死』によって安らぎを得、新たなる使命を負う為に再び生まれるのだと。
 柔らかな明かりを頬に受けた老婆が穏やかな口調で言葉を紡ぐ。テーブルの上で香る紅茶の白い湯気はあくまで優しく。
「私になんの使命が残っているのでしょう」
 今だ消えも死ねもしない私が果たしていない使命とは――?
 次の少年の言葉には、純粋な疑問とほんのすこしの期待が混じってみえた。紅茶の中に混ぜられた、香りづけのシナモンのように、ほんの少しだけ違う色。
「護るものもなく、なにかをつくりだせもしないのに」
 私にはなにがあると――――
 そんな少年の懊悩とした言の葉を隠すように、その小さな家を真っ黒な闇が包み込んでいたのであった。