イノセント

愛の遍歴
【15】




「じゃぁなに? 好きだとか愛してるとか言って欲しいワケ?!」
 湯屋『油屋』の、下働きの小湯女や女中が寝起きしている女部屋での、夜のひそひそ話。ごそごそがさがさ、誰かのいびきとうるさいものの、もう皆が寝ようとしているその闇を、そんな素っ頓狂な言葉が切り裂いた。けれども、色も売るこの油屋では別に不思議でも珍しくもない話。誰も見向きもしないはず、であったが、話の相手が相手、そしてその話に出てくる対象が対象であったので、ぼんやりと眠りのふちをさ迷いつつひそひそ話に耳を傾けていた女達もいっぺんに目が覚めてしまった。
「ミヤコ、あんた……」
 悪趣味、と言いそうになって、その話を聞いていた娘は口をばくっと両手でおさえた。その『悪趣味』と言ってしまいそうな対象はどこに目があるのやら耳があるのやら、こんな時間でこんな場所であっても迂闊な事は言えないと思うので。給金査定下げられちゃたまんない、それだけの権限はしっかり持っている相手なので。
 対して、蒲団の中でぽつぽつと眠たげに喋っていた方は――これは時間が時間だからではなく普段から眠そうであったが――こっくりと黙り込んでしまった。けれど、薄闇の中、なんとなく普段とは違いもぞもぞと蒲団の中でうごめいたりして。言葉につまった娘は、その相手の様子に更に絶句した。思わず息をとめすぎた反動でげふんげふんと咳き込んでしまう。
「や……やめてよミヤコ。キショクワルイ」
 これはその話の中の相手と、目の前の相手をいっしょくたにした感想だ。やめて欲しいそんなとり肌もんの反応するの。この、油屋に入ってきてまだ三ヶ月のミヤコはなにか夢を見すぎているのではないだろうか。たしかに話の中の人は、外見だけならとても綺麗な、颯爽とした人だけど。仕事も完璧にできるけど、陰険だろうと思うのだ、個人的に。けれど三ヶ月とは言え、この小湯女の性格がそんな夢を見るような甘っちょろいものではないと知れ渡っているので、妙に腑に落ちない。まだ十二歳だと言うのに、ミヤコは変に冷静と言うか婆くさいと言うか世を達観していると言うか。とにかく子供らしくないし、夢見る少女などからは一番遠い存在だ。
 そう、眠気もふっとんだ頭で考えていると、ようやくミヤコがもぞもぞをやめぶんぶんと頭をふった。
「ちがうよ、イチさん。そんなんじゃなくってぇ。ハク様の補佐につきたいってこと」
「……あぁなんだぁ。てっきりハク様の恋人になりたいって意味かと思っちゃったじゃない」
『ハク様っていいね』と唐突に言わればそう考えもするじゃないか、時間も時間なのだし。他人に対して淡白なミヤコからハク様の名前がでてくれば、尚更のこと。とりあえず気持ちの悪い想像はミヤコの否定によって散らせたけれど、ついで湧きあがってくるのはどうしてハク様の補佐なんかにつきたがるかって点。寝たフリしたまま聞き耳をたてる同居人達の希望もあるのだし、突っ込んでみる。
「え? だってイロイロと裏でカクサクできるじゃない?」
 給金とかひそかにくすっと笑いながら調整して裏金溜めるとか、湯婆婆様のあくどさに隠れて闇オークションとか。考えただけでこのあたりがドキドキするね、これって恋?? と胸をおさえて続けたミヤコに、イチは蒲団の中でぶるりと震えた。マジだ、この子はマジだ。年下だけれど、ちっこい子だけど、変な子だけど、逆らわない様にしよう――……。凄い勘違いで想われているハク様も大変だぁ。


 そんな感じで半年が過ぎ、なんとなしに暑い夏も終わり加減の季節、その話の中の登場人物が少女をひとり連れてきた。茶色味を帯びた髪の、細い身体をした少女だ。それをみて特になんにも思わなかったミヤコであるが、どう言う話運びやら、なりたがっていた『帳場補佐役』にちゃっかりとその娘が居座ったあたりからはなんとなく心がざわざわとした。と言うか、羨ましいそのポジションあたしとかわってと言いたい。
 とりあえずそれ以上の感想は抱かないで数ヶ月が過ぎた頃にはもう別にどうでも良くなっていた。ハクとその帳場補佐役――千尋の関係を外野から見ている方がはるかに面白いのだし。
「ミヤコ、セン様があらわれて嫉妬メラメラ?」
 よせばいいのにイチがそうミヤコに話をふった。じっくりじっくりと無言で例のふたりをミヤコがことあるごとに観察しているのに気がついた為だ。話をふった時間はまたもや夜の就寝タイムである。けれど、今度はすっぱりとミヤコに首を振られた。
「ううんぜんぜん。だってセン様見てたらわかっちゃったもん」
 なにが? と首を傾げたイチ。
「だって、ハク様に付き合わされる女は大変だってことが」
「はぁ」
 それはそれで女冥利に尽きる気もするけど、あたしが見ててもすごい一途だなーと思うから、と考えつつイチは相槌を打った。けれども、ミヤコの感想はちょっと違うらしい。
「だってほら、すっごい一途とおり越して鬱陶しそうだもん」
 あー言うのはやだね、駄目だね。ある意味尊敬はするけどさ、イメージはぶっつぶれ。もっとクールな人かと思ってたのに。あたしもまだまだ人を見る目がないなぁ、人生経験浅いなぁもっとケンサンしなきゃ。補佐なんかについても暗躍できそうじゃなくてつまんないなぁ。
 ミヤコはハク様の地獄耳も怖くないのか言いたい事をぽんぽんと連ねて、聞いているイチの方が怖くてしかたがなくていけない。あんたまだ十二年しか生きていないじゃないか見る目も人生経験もケンサンもなにもあったもんじゃないだろう……と思いはするが、そんなの怖くて口にできない。
「やっぱり独立か、裏で暗躍じゃなくて正々堂々と乗っ取りしなきゃ駄目かなぁ」
 そこが本音か、と言うか、どこまで腹黒いんだミヤコ、とまわりの女達は思ったとか思わなかったとか。とりあえずその日を境に、女達はこの子だけは怒らせない様にしよう、と固く誓ったのであった。が、その後なんだかんだとミヤコすら嫌がるそのポジションを維持し続ける千尋の方が実は大物なんじゃないかと女部屋の住人達は悟ったのであったが、それはもう少し後のお話。