イノセント

油屋サンセット
【17】




 どこか赤っぽい印象の、不思議の町の商店街。そこに申し訳程度に植えられていた街路樹は、必要もないだろうに、その葉を真っ赤に染め上げて今は地面にかさこそと音経てて降り積もっていた。大人の手ほどの、子供の手ほどの、形も様々な葉っぱがこんもり山となり、夕方には少しばかり遠い午後の風に吹かれている。
 その樹を見上げて、商店街のはずれにある甘味処の女将は玄関前の掃き掃除の手をとめて
『たしか昨年は紅葉も落葉もしなかった筈だけど』
 と徒然と昨年の樹の様子を思い出していた。どうやら今年は落葉樹を真似ているらしい、本当この樹は一体なんなのやら。そして来年はどうしてくれるのだろう。もしかしたら来年は花が咲いて実がなるかもしれない、食べられる実をつけてくれると嬉しいのだけれど。個人的に枇杷なんて好き。毎日『枇杷になれ、枇杷になれ』と語りかけたらお願いを聞いてくれるだろうか。旦那が聞いてくれない分、樹くらい願いを聞いて欲しい。
 そうこうしている間に、道の向こう側からまっすぐに歩いてくる人影を見つけた。高い背と、低い背のふたり連れである。遠目からでも誰だかよくわかる、帳場の管理人と新人だ。白装束に身を包んだ背の高い者など彼しかいないし、秋らしいこげ茶色のブランケットを羽織った洋装の小柄な姿は彼女しかいないし。なによりふたりともお得意様であるのだし。けれどもこのふたりが連れ立って来るのは始めてではないか。
「あぁ、今日は油屋の定休日か」
 同じ職場同士では休みがかち合わないのであるから、帳場のこのふたり組みが揃っているのなんて昼休みか定休日くらいしかないのだし。そう合点が行くと女将はそそくさと掃除道具をかたし、店内へと入っていくのであった。
 それにしても新人さん、やたらと服のジャンルが増えているような。本日は、どこもかしこもふりふりレースで飾られたワンピース姿である。仕事場では着られない、およそ機動性とは無縁な可愛らしい姿。油屋経営者の双子の姉が作っていると耳にしたが、となるとこれは休日着であるのか。だんだん凝ってきていると思わずにいられない。どこにも暇人と言うのはいるのだねぇ。


「……」
 時間も時間だからか、いつも閑古鳥がさえずりまくっているから普段通りと言うか、誰も入っていない店内の四人掛け席に座ったふたりのうち片方――千尋が、新しく壁に張り出されていた紙をつらつらと眺めている。
「ハク、予約餡ってなに?」
 白い半紙に店の旦那が書きたくったその三文字。『予約』も『餡』も読めるし意味もわかるけれど、それが合体しているのでよくわからない。『予約餡受付中』とは一体なんなのだ。
「あぁ、もう年末だから」
 ますますもって意味がわからない。
「炊いた餡だけをここで買って加工するのだよ。おはぎにしたり、大福に詰めたり、伸ばして善哉にしたり」
 ここの餡は結構有名だから、遠くからも買いに来るのだよとハクのうんちくが。
 はぁそんなに有名なお店が近くで良かったねぇハク、この甘味大魔王。嬉しそうですね。甘味処マップおすすめ欄の常連店だとか言い出さないかとひやひやするわ。なんとも言えない気分になった千尋であった。
 とりあえずもうそんな脱力話は話ふってごめんなさいにして、手元のお品書きに視線を落とした。部屋でぼんやりとしていたらハクが奢ってくれると言うからほいほいついて来たのであるし。わーどうしようかな、どれにしようかな。どれでも好きなのを頼みなさいだって太っ腹。でもここの一番のおすすめで一番美味しいと思うのは、二番目に安いお善哉なんだよなぁ。かりっと焼いたお餅がふたつ入っているのが好きなの。どうしようかなぁ。
 と、そうこうしている間に表ががやがやと騒がしくなった。おや、珍しい、あんまり自分以外が来ることなどないのにと思いつつ視線をやると、暖簾をくぐって見慣れた人物が入ってきた。リンと、その後ろにずらずらと並んでいるのは少女達。カサネとイチと――大湯女のセリカが。
「あれ、なんでお前等――」
 うわぁすごいふたり組みが入ってる、と言ったきり絶句したリンに千尋はなんとも言えない表情を向けた。すごいふたり組み、そう思われていたのかリンさんには。
 とりあえずリン達は微妙にはずれた四人席におさまった。きゃわきゃわと楽しげにお品書きを眺めるカサネとイチと、小脇に抱えた新聞らしきものを広げ始めたリンと、ぼんやりとしたセリカの様子はなんとも対照的だ。セリカの様子を見ると胸の奥が痛くなる。自分が油屋に勤め始めてからはじめて新しく入った大湯女。しかも、それまでは自分にもよく懐いていてくれた、小柄な少女。控えめな性格ながらよく喋ったしよく笑ったし。あの頃から比べると彼女の境遇の差は激しすぎる。けれど、千尋が想像していた程に我が身を悲観したりはしていないようであったのでまだほっとする。ぼんやりした表情は、多分寝不足なのだろう。
『と言うか、そう思いたいし』
 千尋はそれ以上の感想を無理矢理に断ち切った。なにか言葉をかけたいけれど、それは同情になるのか、それともまったく違うものが出てくるのかわからないので。まだ彼女の境遇に対して冷静になれない自分がいるとわかっているので。
 もう一度お品書きに視線を落としかけると、またしてもカラカラと音たてて扉が開かれた。今日はなにやらお客さんが多い日だなぁとなんとなく目をやると、そこには、見慣れたと言う程には見慣れていないけれど、知らない人とは言えない人物が。黒地に艶やかな花模様の着物を着た、大湯女総纏役ひな菊が入ってきたのだ。その人がからころと下駄の音をたてて、けれども店の中に揃っているメンバーを見てかすかに目を細めた。
「あらイヤだ、変な頭数揃ってるじゃないかい」
 ひな菊姐さーん、変なってあたし達の事?! と挙手しながらカサネが。それにひな菊は頭をふりふり、そこらヘン、と指で三ケ所を指し示した。ハクと、千尋と、少し離れた箇所のリン。
「やぁ珍しいわぁこの組み合わせ」
 と言いつつ、さり気なく襟元を整えた。その仕草さえ妙に色っぽいが、本日はきっちりと襟元を詰めている。油屋内でしかひな菊を見たことがないセリカは変な気分になった。いつもは白い肌を意識してあらわにしていて、同性のセリカでさえ目が行きそうになるほど色気を振りまいているのに。足元だって、下品にならない程度に赤い襦袢をはだけさせているのに、本日はひらひらと見えるか見えないかくらいで。その微妙な視線に気がついたのか、ひな菊がもっと襟元を引き上げた。
「別に年がら年中仕事しているわけじゃぁないからね。あたしだって普通に着物を着るさ」
 セリカだって、仕事でない限り大湯女に相応しい艶やかな着物など着ないのであるからそれはわかる。現に、今だって地味な上に地味な着物に袖を通しているのだし。まだ大湯女になって間もないからか、その様子はセリカをさして大湯女と言っても誰も信用しなさそうなほどであったが。
 ひな菊は、姿形は普通っぽい女ではあったが、放つ雰囲気や仕草はやはり年期の入った大湯女だからか、婀娜っぽい歩みでハクへと近づくと、座ったまま振り向きもせず視線を合わせようとしなかったハクの肩に後ろからちょいっと手をかけ仲良さげに顔を寄せた。けれども間向かって座っていた千尋は――そのひな菊とハクの顔を揃って見てなにやら思うわけでもなく、逆にひらひらと手を振って
「あ、この間借りた本、面白かったです。今度返しますね」
「それを言ったら孫の手、借りっぱなしなんだけど返した方が良いかねぇ? なかなか良い按配なんだけど」
「オシラ様からのもらい物なんですけど、別に急ぎではいらないのでいつでも良いですよー」
 とハクの肩越しで会話が成り立ってしまったりする。とりあえず、嫉妬とかしてくれたら嬉しいんだけど千尋、こんな体勢なんだから、とか思わないでもない帳場の管理人であった。馴れ馴れしく人の肩を借りてくつろぎおってひな菊も、とも思う。
 それにしても、あまり接点のないようにしていたはずの大湯女の、更にそれの大ボス総纏役のひな菊といつの間に物の貸し借りをするような間柄になったのだろうと疑問も湧く。しかも孫の手とはなんなのだ、孫の手とは。女は不思議だ。謎ばかりである。
「ひな菊、そなたはここに何しに来たのだ」
 拗ね気味にならないように牽制すれば
「あれやだハク様、ここは甘味処だと思うけど」
 からからと笑われからかわれるしかない。
「する事は、ひ・と・つ、しかないじゃないかい?」
 となんとも意味ありげに笑われる。そのやりとりを外から眺めて『ハク、なにをカバなことを聞いているのやら。甘味処ですることといったら甘味食べる以外になにがあるってのよ』と心の中でだけ突っ込んだ千尋であった。
 そんな、帳場の管理人の希望とは微妙に外れた感想を抱いている新人やひな菊の傍らで、まだきゃわきゃわと騒いでいるのは小湯女達である。
「やーん、どれにしよう? 一番美味しいのは善哉だしなぁ」
「イチゴのかき氷大好きだけど時期を外してるしなぁ」
「おー、好きなの選べよぉ」
 どれにしようか指差し迷う小湯女達に、リンが新聞から目を離さずにそう声をかけた。なんともなしに聞いている小湯女達の会話には、どうも値段を下から数えた方が断然に早い品名しかでてきていない。どうにもこうにも遠慮をしているらしい。
「やーん、ありがとうございますぅリン姐さん大好きvv」
 いーよいーよ、今日出払ってなかったのお前等だけだったからさぁと、またもやリンは新聞から目を離さず。リンの本心には、元部下であったセリカの気晴らしになればいいとの思いもあったのだが。それに、この間株が値上がりして、配当金も結構な額が入ったし。さてそれで新しい株を買おうと思っているのだけれどどれにしようか。あんまり経済系はよくわからないけれど、勘で買ったものに今まではずれはないのだ。大当たりもないけれど損だけはしていない。この油屋を出て行ける日もそう遠くはないだろう。株をやっているとハクに言えば
『あぁ野生の勘?』
 と返されるだろうとわかっているので言いはしないけれど。
 なにやら話を聞いていると、リンが三人におごる話運びであるらしい。それを聞いたハクは、なんとなく居心地が悪い。ここにいる中で一番の高給取りは――ひな菊は別として――おのれである。リンなどとは比べ物にならない。湯婆婆の弟子云々その他色々でさっぴかれているものの、間違いなくおのれなのである。それは従業員の給金関係に携わっているおのれが一番よく知っている。なのに、リンは三人におごると言っている、これでは男の立つ瀬がないのではないか?
「あー……そなた達、好きなものを頼みなさい」
 ここは私が払いを持つから、と声をかけると、一瞬店内に沈黙がおりた。ひとりカウンター席に座ったひな菊の肩が微妙に揺れて、くつくつと声を殺して笑っていた。
「おいおいハクサマ、どうしたんだよ。腹でも下したか? 槍でも降らす気か?」
「失礼な。私だってたまには――」
 上司らしいことをするさと続けようとしたのだが、それらは更にどっと沸き立った小湯女達の会話に遮られてしまった。実質喋っているのはカサネとイチだけであるのに、なんとも賑やかこの上ない。
「えぇうっそー。ハク様の奢り! じゃぁあたしあれ頼んじゃおっかなー」
「ならあたしはコレ!」
 遠慮も何もあったもんじゃない。値段を上から数えた方が早い品を指差した。
 まぁたまには良いかと娘達の変わりように心のどこか釈然としないながらも納得させ、さて千尋はどうするのだろうと視線を向けると、なにやら小湯女やハクやリンのやりとりが面白かったのか、妙にニコニコとしている彼女がいる。
「そなたの注文は決まった?」
 と話をふれば
「うん、お善哉頂きますvv」
 と返されて。そなたは遠慮なんてしなくていいんだよ……と心の内で思った帳場の管理人を厨房からこっそりと覗いていた女将さんは声を殺して笑った。最近の管理人さんはなにやら雰囲気が変わったねぇと思いながら。カウンターのひな菊は、笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を拭うのに忙しかった。女はいつでも振り回す方、男はいつでも振り回される方だねぇ、それはこの帳場役でも変わらない、と思いながら。

   ◆◇◆

 離れた席に座っていたはずなのに、店内にいるのは同僚同士そして女同士――ひとりはずれではあったが……――。結局微妙な間隔などなくなって、女達は女同士で盛り上がってしまった。そんな中ひとり場違いさを感じつつ、どうしてそこまでそんな話で盛り上がれる? と女特有のお喋りや情報網にある意味感嘆したハクは
「ハク様、ご馳走様でしたー」
「ありがとうございましたー」
 とのそこだけ自分を引き合いに出してくれた彼女達の言葉と、落ちていこうとする太陽をぼんやりと見やり
『なんて休日だ』
 と思ったり。
 そうして、月に一度の油屋の休日は暮れていったのでありました。