イノセント

ヤンバルクイナが囁く
【21】




 この帳場の紅一点は、まわりが和装であるのにただひとり珍しやかな洋装であるからなのか、それとも構いたくなる雰囲気を発しているからなのか、なにくれともらい物をしていたりする。
 金銭なんかであれば仕事場の長に報告、行きつく先はがめつい経営者で呼び出しを食らうであろうが、その品が悉く飴玉やらビー玉やら小さな観葉植物やら、端切れで作られた巾着やら、もう少し良いものでちりめんで飾られた鏡や櫛などなので特に問題にはならなかった。いつぞやは金魚なんぞも頂いた。ただ、次々に増えていく品物を見つけては、とある第三者がブルーになるだけであって、特筆すべき被害はなにもないと言えるであろう。
 そんなもらい物大魔王となっている千尋は、本日ももらい物をしていた。部屋の中で一番品数の多くなってきている、ぬいぐるみである。
 くちばしが赤くてずんぐりした黒い鳥のぬいぐるみで、お世辞にも可愛らしいとは言えないけれどどうしようもないのでいつものように箪笥の上に飾ってみる。虎や兎のぬいぐるみ、吸盤付きの河童、陶器の恵比寿様。その他諸々統一性ゼロの群落に放り込んでも違和感などない黒いぬいぐるみ。違和感を覚えると言うのなら、ぬいぐるみ達の向こう側に頭だけ見せている銀色が一番そぐわないであろう。
「あの神様って、沖縄出身って聞いたけど」
 獅子に似た鬣を持った、赤い体躯の神様だった。四つんばいで歩くのが普通であろう骨格だったのに、廊下を二足歩行しているのが妙におかしかった。たしか沖縄の守り神、シーサーではないだろうか。その神様からのもらい物のこのぬいぐるみも沖縄出身なのだろうか。
「……」
 沖縄と言えば……と考えると、まず海が綺麗なこと。ついでイリオモテヤマネコ。あと、豚の耳や足やニガウリなどの食材が食卓に並ぶこと。南十字星が見えること。缶ビールを装飾として埋め込んだ家なんかも一時有名であった気がする。
 それとあともうひとつ、なんだが有名な鳥がいたような……最近発見された鳥がいたような気がするけれど、喉元まで出かかっているのにはっきりとわからなくて、とてつもなく気持ちが悪い。
「……まぁ、いいか」
 なにやら余計なことをたくさん知っている某さんに聞けば答えが得られるだろうけど、どうせまた『もらい物をした』と言えばブルーになるんだろうなぁと考えると聞く気力も萎える千尋であった。

   ◆◇◆

 千尋がふとまわりを見まわすと、そこは知らない場所であった。背高い樹が空を覆い、鳥が遠くでほろほろと鳴いている場所。
「あれ?」
 暑くもなく寒くもないふわんふわんとした気候で、風がさわりと吹いている居心地の良い場所だった。けれども、油屋近くにこんな場所はなかったなぁと考えると、なぜ自分がこんな場所にいるのか不思議になる。
 と、そんな千尋の足元を
「急げ! 急げ! 時間がない!」
 キンキンした声で騒ぎ、ぐるぐると円を描きながら後ろ向きでこちらに向かってくる兎が見えた――のだが。
「……二足歩行」
 や、問題はそんなところじゃない。なぜに兎が二足歩行で、しかも後ろ向きで前進、おまけに円をぐるぐる描いて走ってきている。凄い! とか、器用! とかの感想すら出てこないほどに非現実的であった。ここがいくら不思議の世界とは言えやり過ぎである。責任者出て来いと言いたくなる。
「って言うか、とってもどこかで見た気がするんですけど」
 もう一度兎を見ようと視線を下げてみると、自分が鮮やかなブルーのエプロンドレスを着ているのに気がついた。上半身を見てみると、白いワンピース。もう一度足元に目をやってみると、シマシマ模様のタイツを履いている足が。
「……」
 とりあえず、こんなタイツなんて持ってません。いくら銭婆様がレトロチック好きでも、こんな悪趣味タイツなんてわたしが受け取りません。
「じゃなくて、なんだかこれじゃぁ『不思議の国のアリス』じゃない」
 そこまでぼんやりと考えついた時には、兎は目の前を横切って樹木の向こう側へと消えて行った。
「……兎のぬいぐるみ??」
 ぐるぐる後退で前進して行った兎は、なんだかどこかで良く見ている某ぬいぐるみであったような……。
「なんなの?」
 一体これはなになんだ。悪い冗談だ。
でもとりあえずこの木立の中でぽつんと立っている訳にも行かず、千尋は兎を追いかけてみることにしたのであった。
後にはさわさわと不気味なまでに穏やかな風に揺れる樹木だけが取り残された。


 木立を抜ける間に穴に落ちたりなんだりして、千尋は現在また知らない場所へと辿りついていた。目の前には見はろかす水平線。ざっぱんざっぱんと青い海が広がっていて、そんな海の真ん中に畳十枚分くらいの、漫画や絵本に出てくるような孤島にぽつんと立っていた。真ん中には椰子の木が一本生えていて、爽やかな海風に大きな葉をさわさわと揺らしている。
「だからこれはなに?」
 兎を追って落っこちた穴の中で小さくなる薬、大きくなる薬を飲んだ後に意識を失って、気がつけばここにいた。もうなんでもありな気もしてはいたが、これはないだろうと思う。海のど真ん中の孤島、しかもひとりではなくて――かたわらには虎がいた。まぁ、普通の虎ではなくて――両手で楽々抱えられるほどの大きさの、ぬいぐるみであったから害はないけれど。……ないはずなのだけれど。
「ちっちゃいからってバカにするナヨ? 俺はトラなんだゾ? やるか、こらァ!」
 と、さっきからいちゃもんをつけては千尋の手に噛みついてくるのだ。
「ヤ、ヤだ! くすぐったい!!」
 ちっちゃなぬいぐるみの虎が噛みついたところで、牙がするどいわけでもなく怪我をするわけでもなく。こしょこしょとくすぐったいだけなのだけれど、振り払っても振り払ってもいちゃもんをつけては噛みついてくるのだ。正直、虎のぬいぐるみは可愛いし、そのこまっしゃくれた口調も可愛いが、勘弁して欲しい。げっそりとした。それに、これを表す言葉を――と考えたところ『孤島の小虎』以外思いつかなくて語彙不足を自覚した。なんだかぱっと見、上から読んでも下から読んでももどきではないか。
「なんなのよぅ、一体?!」
 振り解くのを諦めて、右手に虎をぶら下げたままの千尋は、そんな呟きを海の向こうへと放り投げたのであった。
 暑くもなく寒くもない気候とは言え、直射日光の下にずっといると気分が悪くなってきそうだ。青い空、青い海、青々と茂った柔らかな下草に椰子の木と虎。それだけしかない空間を見続けていれば厭きもくる。千尋は虎をぶら下げたまま椰子の木の根元に座り込んで、ぼ〜〜と目の前の海原を眺めやった。
 目の前に広がる海は透き通っていて綺麗で潮臭さもなく、河の神様であったハクが見たら喜ぶんじゃないかとふと考えついて、あれ? どうしてハクはいないのだろう、と気がついた。ここがどんなに変な場所でも、わたしひとりでいるのなんておかしすぎる。変な場所にいるのであればハクも一緒であると思うのだけれど……とまわりを見まわしてみても、白い竜の姿は見つけられなかった。ある意味、いつもハクが側にいるのが当たり前と無意識に感じている点に今更のように気がついてショックを受けもしたのだが。
「……お迎えにも来てくれないんだ。いーもん、いーもん、ほったらかしでもいーもーん」
 椰子の根元に座り込んだまますねすねすると、虎が噛みついたまま上目使いになり、かぷりと口を外した。
「なんでぇ、ろんりーか、嬢ちゃん」
 なんなら俺が付き合ってやっても良いゾ、との虎の言葉に、千尋はこの上もなくげっそりした。
「間に合ってます」
 リンがその場にいれば『お断りしますでも遠慮しますでもないのか?』とのつっこみがきそうな言葉で即答しつつも目はまだ往生際悪く海の向こうをさ迷っていたのだが、ふと千尋はなにかが近寄ってくるのを見つけた。
「……ハクかな?」
 右手から波を切って進んでくるものがある。その、切り取られた波はどんどんと近づき、すぐに孤島の側へと辿りついたのだが、やってきたものを見て、千尋の目は点になってしまった。
「恵比寿様……?」
 陶器の頬も涼しげな、大きな鯛を持った恵比寿様が海上すれすれを低空高速移動していたのだ。しかも、箪笥の上でいつも見ている、あの恵比寿様にそっくりな。違いと言えば、千尋の背丈よりも大きくて横幅もそれなりにあって、陶器の身体に水干を身につけている点か。ミスマッチこの上ない姿に思わず口を開けて指差してしまう。
『こんな鄙びた海上に、虎とお嬢さんか。良きかな良きかな』
 福々しい声でまったりとそんなことをのたまう恵比寿様は忌憚なく言ってしまえばとてつもなく変だ。
「あの、鄙びたもなにもないんですけど……」
 ここは海上で、椰子の木が一本。あとは下草だけ。まぁ、鄙びたも極めたと言えば極めた場所かもしれないが。なにせ、なにもないと言うよりは、あるものが少なすぎるのであるし。
 とりあえず千尋は気を取りなおして、恵比寿様にすがってみることにした。
「恵比寿様、助けて下さい。わたし、気がついたらこんなところにいたんです。ここがどこだかも、帰る方法すら知らないんです!」
 箪笥の上にいる恵比寿様にそっくりだからと言って侮ってはいけないだろう、腐っても胡散臭くても神様なのだし。
『お嬢さん、どこに帰ると言いなさるね』
「油屋です!」
 恵比寿様は福々しい頬をゆるりと緩めた。
『帰るもなにも必要なかろう? ここにおればええ話じゃぁないか』
「そうダそうダ、俺と一緒にここにいようヨ。嬢ちゃんとはまだ小一時間くらいしか付き合ってないんダ。時間はたっぷりあるんだから、もっと話をしようじゃないカ?」
『おぉおぉ。男と女がおるのなら結婚すりゃぁええ話じゃないか。やがて子が生まれてここが帰る場所となろうぞい。今の一瞬だけを見ておらんで、先の日々を考えて生きりゃぁここにおっても問題あるまい? ワシが祝いの品を進ぜよう。ほれ、目出度い鯛じゃからして良かろうほどに』
 そして、虎と恵比寿様はほがらかに笑った。千尋は、いっそ清々しいまでに人の意思を無視したふたりの言い分に目が点になるしかない。
 その三人の隣を、ゆうゆうと吸盤をぶら下げた河童が一匹泳いで行った。あれ、あの孤島の小虎、嫁取りしたんかいね、そんなことを思いながら。
「付き合いきれません! わたし、意地でも帰るんだから!」
 そう叫んだ千尋は、とうとう誰の助けもいらないとばかりにじゃぶじゃぶと海中へと進んで行った。孤島の下はすぐに深みになっているのか、千尋の体はじゃぼんっと音をたてて沈んでしまう。青いエプロンドレスが海の色に混じって青々と輝いて落下傘のように広がった。
 海底に辿りつくと、そこはなぜか珊瑚の林だった。ゆらゆらと熱帯魚のようなものが泳いでいる。それもまじまじとよく見れば、箪笥の上の奥の奥の奥に押し込んでいる、タラコ唇の趣味が悪いピンク色をしたぬいぐるみにそっくりで。その魚が群れになって泳いでいる。勘弁してくださいもうホント、あの趣味の悪さは作った人の気が知れない。
 頭上から太陽の光がさして海中は美しかったけれど、とことことあてどもなく歩いていると厭きてきた。
 ぐるりとまわりを見上げて、お迎えはやっぱりこないのだろうかとふと寂しく思う。どこを見まわしても、白い身体をくねらせて水の中を泳いでくる姿は見えなかった。仕方がないのでとことこと前進するけれど、あてなどあるわけがない。
しまった、腐っても神様の恵比寿様ともう少し話をしてみれば良かった、万にひとつくらい有益な情報があったかもしれないのに。そう考えても、まさに『あとの祭り』状態である。お祭りであるならできれば楽しい方が良いなぁ。
 楽しいと言えば、ここは『不思議の国のアリス』もどきの世界なのだから――微妙にずれているけれど――あれもやっぱりでるのだろうか、トランプの女王様やトランプの兵士達。そんなモノには別に会いたくないけれど、あれには会いたい、あれ――あれ――名前、なんだっけ?
「えっと――チェシャ猫」
 木の上から尻尾をぶらぶら揺らせて、アリスを見下ろしているゲジゲジ猫。あれになら会ってもいい。あれ、でないかなぁ。
 そんなことを考えている自分を見下ろしている存在に、千尋はふと気がついてしまった。青い水にけぶる珊瑚の上にでんっと乗っかっている、ずんぐりした黒い――鳥? 湾曲している幅広の赤いくちばしに黒い目の鳥だ。それもやっぱりぬいぐるみらしい。尾っぽが水の流れにゆらゆらと揺れているのが見てとれる。
「あ――えっと――」
 名前が出てこない。喉元まで出かかっているのに、そのずんぐり鳥の名前が出てこない。青い青いトロピカルな海の風景とワンセットでいてもおかしくない鳥――や、けっして海の中では見られないのだろうけれど――あぁいやだ、出てこない、気持ち悪いくらいに出てこない。
 ぐるぐるぐるぐる、無言で見詰め合っていると、唐突にその鳥がぐわっと赤いくちばしを開けて、
「きょっきょっきょっ!」
 そんな奇声を上げたので思わず千尋は一歩後退した。
 ついで、
「けけけけけっ!」
 更に変な声で威嚇されたので『勘弁してーもぅいやぁ!』と千尋はその場から逃げ出した。
 その背中を追いかけるように、あの鳥がまだなにかを叫んでいるのが聞こえた。
「ヤンバル! ヤンバル! ヤンバルクイナー!」
「……あ、ヤンバルクイナだ!」

   ◆◇◆

 お泊りのお客様はおろか、従業員だって眠っている、朝靄に沈む湯屋『油屋』
 そこを、よっぴいて飲み明かしていた酔っ払い客が巻き起こした遠慮もなにもない喧嘩によって、局地的大地震が起こった。神様同士の喧嘩ともなれば、大なり小なり地震が起こったり雷が落ちたり、暴風が巻き起こったりするのである。絢爛豪華ではあるが、増築に増築を重ねどこか基礎も接合部分も甘い建物である『油屋』は揺れに揺れた。
 そんな時間ではあってもすでに起きていたハクはその被害を手早くまとめあげ、ことはすべて終了してから、自室のある階へと向かう昇降機の中にいた。本や書類を積み上げている自室が心配なのではない、同じ階にいる千尋が気になったのだ。
 とりあえずまだ朝も早いので、ほとほとと控えめに戸を叩いてから耳をすませる。すやすやと寝息が聞こえれば良し、なにも聞こえなければ緊急事態だからこの戸を開けようと考えながら。
 けれども、竜の聴覚が拾ったのは、少女のうめき声だった。
「千尋?!」
 すわ緊急事態! と開け放した戸の内側に足を一歩踏み出して、ハクは慌てて足を止めざるを得なかった。そこには、蒲団の中で唸っている少女の姿が。
「……千尋?」
 大きな箪笥の下敷きにでもなっているのかと慌てたのであるが、箪笥はなんともなかった。けれどもその前に敷かれた蒲団の上には――ぬいぐるみが。しかも、唸っている千尋の胸元あたりには、でんっと大きくて黒い鳥のぬいぐるみが鎮座していた。その鳥が千尋の顔を覗きこむようにしている。あたりには河童や兎や虎や、ピンク色の魚や、その他諸々の品が散らばっている。箪笥上部の奥も奥、壁に立てかけてあったベル以外は全部落下したらしい。
「う〜ん う〜ん」
 あまりの状況にハクですら固まってしまった。千尋の唸り声だけが意味不明状態で続いている。
 とりあえず苦しそうなので、胸にでんっと乗っている鳥を取り上げてやる。ずんぐりした黒い鳥で、くちばしが赤くて大きく湾曲している奇妙なぬいぐるみだ。
「……ヤンバルクイナ?」
 なんでこんな物が増えているのだ、なんで。と言うか、いつ増えたのだろう。そして一体誰が。この部屋の主はとても謎だ。来るたびに得体の知れない物が増えている。
 その部屋の主に『ハクこそが得体が知れない』と思われているとも知らずに思案にふける帳場の管理人であった。


 その後、悪夢より解放された千尋は
「聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥」
 をもじって
「聞くは一時の脱力。聞かぬは長時間の脱力」
 と呟いたとかなんとか。