イノセント

春は春に、夏は夏に
  秋は秋に、冬は冬に
【30】




「うわぁ、ハク、すごい!」
 千尋は竜の背から見下ろしている山が、一面の櫻色に染まっているのに感動して声をあげた。寒い冬がようやく行き過ぎ訪れたうららかな春の光に包まれて、竜はすぃっと下降してその小山へと着地する。竹篭を下げた千尋は竜の背から飛び降りるようにすると、ハクをほったらかして櫻の巨木の下へと行き、枝を広げるそれを見上げてきゃぁきゃぁと騒いでいる。
「すごいっ! ハク、すごい綺麗ねぇ!」
 あちらの世界にも名木はたくさんあったが、こちらの櫻は次々と蕾をほころばせ、はらはらと花びらを散らしており、また違った凄さを感じさせる。まるで、櫻の存在意義は花を咲かせることではなく花を散らすことにあるとでも言うように次々と花開いては次々と散って行く。
 ちらちらと薄い櫻色をした花びらが舞い降りて、ハクの目には櫻と千尋が一体になった気がする。まるで櫻の懐深く抱き込まれて攫われてしまったかのような。けれどもハクは慌てたりはしなかった。彼女はいなくなったりしない、ここにいるとわかるから。ただ眩しげに、愛しげに目を細めるだけである。
「あぁ、やっぱりそなたと櫻はよく似ているね」
 千尋の名を取られていたあの春に見上げたこの櫻と目の前の娘はよく似ていた。ふわりとした色彩もそうだが、根をしっかりと大地に張りどんな狂風にも負けない様子がよく似ている。見る者の心を和ませるところも同じであった。
「なに? なにか言った?!」
 ハクの小さな呟きに、はしゃぐ千尋は小首を傾げる。そんな千尋をハクは両腕で囲んでしまった。どこにも行かないとはわかっていても、櫻に取られっぱなしでいる理由もないのであるし。
「ハク?! えと、お弁当、つぶれるよ?」
 抱きしめられるのは別段嫌ではなかったが、突然のハクの行動に困惑の声をあげてしまった千尋は、返って来た答えに思わず苦笑してしまう。
「そなたとこの櫻を見られて、幸せだと思ってね」
「……ハクって前にも言ったけど、すっごいさびしんぼだよね?」
「些細なことで喜べるなんて、幸せな性格をしていると思わないかい?」
 そう言うのは心が貧乏性って気もするけれど、仕方ないからつきあってあげる! と千尋は両腕をハクの背中へとまわしてぎゅうと抱きついた。ふたりを包むように櫻の花びらが降り注ぐ。まるでふたりを祝福しているように――または呆れているように。
 千尋は、ハクの腕の檻と櫻の花びらの幕に包まれてうっとりと笑った。
「夏には海を捜しに行こうね。秋には森に連れてって。冬には雪の遊びを教えて欲しいな」
 そして来年の春には、またここに連れてきてね。
 ささやかな千尋のその願いに、ハクは笑みを深くした。
 

 そして、春は春に、夏は夏に、秋は秋に――冬は狂った風をはらむ冬ではなく、いつもの冬として世界にもどった。



おわり



【あとがき】

とうとう掲載が終わってしまいました。最後なのでイロイロイロイロ書きたいところですが・・・本当は『本編』ははじめの一話だけで、2話目以降は全部『おまけ』なんだとか・・・その『おまけ』を書き始めたきっかけが『愛のあるエロが書きたい』とか言うぶっとんだ理由だとか・・・『愛のある以下略』を書く為の設定をいちから説明するのが面倒だからえーい『イノセント』の続きで書いちゃえ〜、とかで続きを書くことにしたんだとか、『続きを書くぞ!』と決めた瞬間にハクが『ングヴェイが来る』と言い出した以外は黙秘権行使して『ングヴェイって誰? 何者?!』とどれだけ質問しても答えてくれなくて頭を抱えたとか、『名前』うんたらとか『冬』がうんたらとか続きを書くなんて考えてもいなかったからどうしようどうすればいい?? と胃潰瘍になりそうなほど考えたとか、本当は千尋さんの記憶を戻す気なんてさらさらなかったのに意地で取り戻したど根性のヒロインは初っ端から泣かそう泣かそうとしていたのにとうとうあそこまで泣かなかったとか。
イロイロイロイロ書きたいことはあるのですが全部割愛。全部わたしの胸の中にある良い思い出なので。
ただただ『ありがとう、楽しかった』と言いたいです。ただただ自分自身が続きを知りたいが為に書き続けた五ヶ月+α。楽しかった、本当に楽しかった。苦しい時もあったでしょうが、今はもう楽しい思い出しかありません。『ありがとう』――なんて良い言葉だろう。
そしてこの言葉を、今までお付き合いくださった皆様にもお贈りしたいです。ありがとうございました。こんな無駄に長い、そして書きあがっているくせに掲載の遅い駄作にお付き合い下さいまして。本当にありがとうございました。




でもこの『イノセント』のふたりの『蜜月(ぷ)』は長くは続かないんだと知っているだけに、勝手に登場人物たちが動く駄作の書き手と言うのも辛いものです(え?)。