のお姫様

第3幕 ふたりめのお姫様


 色々と思惑が渦巻いていた武道会からはや一週間。あの喧騒が嘘のように静まり返った陸の城。
 どうも最近周囲がおかしい、とすこうしばかり思いはするものの、リンはとりたてて騒ぎたてる問題でもないだろうとひとり納得しながら城の廊下を歩いていました。
 なにがおかしいと言えば、廊下を歩いていれば天井から灯りが落ちて来たり、庭を歩いていると鉢植えが落ちて来たり、城の皆に誘われて森に行けば猟師に撃たれかけたり、海沿いに行けば誰かに突き落とされかけたり。直接的な被害があったわけではないけれど、なにかおかしい気がしないでもありません。
『なんだなんだ、陸ってこんなに注意して生きていかなきゃならんのか?』
 全部野生の勘で事無きを得ているから大丈夫だけれど。少々的外れの感想を抱いてしまう元人魚姫。けれど、これが人の生活の『普通』なのだと思い込んでしまったら致し方なく。用心しいしい、けれども普通に暮らしておりました。
 と、ぶらぶら普段通りに廊下を歩き庭へと降り立ったリンは、見なれない人物にでくわしました。ふくふくした頬の、茶色がかった髪をポニーテールにして桃色のドレスを身に纏った小さな女の子です。隣には、あの、バカ王子。
「あぁ、リン。こちらは隣国のセン姫だ」
 なにやら気持ち悪いほどに上機嫌のバカ……もとい、ハクが、その女の子をリンに紹介しました。『姫』と付くわりにはちょこんと頭を下げる仕草が妙に庶民くさい姫君です。その様子は、よく言えば人懐っこい、または幼い、または――怯えている? とも言えそうな。拉致されてきた小動物、をなんとなく連想してしまうリン。
「セン姫は、私の美しさに海の女王が魅入られて海へと連れ去りかけた時『愛』の力で呼び戻してくれた恩人だ」
 そのハクの言葉に、リンは内心で腹を抱えて笑い転げました。海の女王と言ったら湯婆婆だよな、いっそそのまま海底に引きずり込まれてりゃ良かったのに。と考えて、はたと気がついたこと一点。そう言えば、誕生日に引き上げた、きんきんきらきらに飾り立てた粗大ゴミ、こいつに似ていないか??
『うっわぁ、世の為人の為にならないことやった張本人ってオレ?!』
 凄く落ち込む事実に気がついて、リンはなんとも言えない気持ちになりました。誰だよ、誕生日を過ぎたら海上に行っていいなんて迷惑な掟つくったの。素晴らしくヤツあたりをしてしまいます。
 まぁそれは仕方がないので、リンは目の前の女の子に目を向けました。見れば見るほど威厳もへったくれもないぽやんとした笑顔のお姫様。
 ふくふくした頬を突ついたらさぞかし柔らかかろう、なんぞと思っていた為に、リンはハクの次の言葉にどう反応を返せば良いかわかりませんでした。
「来月の結婚式までこの城に滞在されることになったから仲良くしなさい」
 ……は? 結婚? 誰が誰と?? ハクとこのお嬢ちゃんが? 
 ハクが――セン姫にとっては傍迷惑であろう――自分を助けたのはセン姫だと甚だしい勘違いをしているのは別にリンにとってどうでも良いことでしたが、その勘違いによってなんか結婚式うんぬんに結びついているのであれば彼女があんまりにも可哀想です。なぜなら、どう考えてもこのお嬢ちゃんとこのバカ王子が好きあって結婚、の流れになっているとは思い難いのですから。どうせバカ王子がバカをバカバカに通したに違いありません。それ以外に有り得ません。
 なんとかしないとな、とは思うものの、どうしようもないリンは途方にくれたのでした。


 ハクに言われたからではありませんが、セン姫とリンはなんとなく仲良くなりました。なにかとベタベタしてくるハクから逃れる為に『寄らば大樹の影』よろしくセン姫がリンにくっついているとも思われますが。ハクがなんとなく『邪魔』と『苦手』意識をリンに対して持っているらしいと小動物の勘で感じ取ったセン姫なのでありました。懐かれたリンにとってのセン姫の印象は、大樹に避難する小リス、鯨の腹下を泳ぐちっちゃなコバンザメ(少し違う)。どことなくほっとけません。
『セン、ほんとーにあのバカと結婚する気か?』
 花が美しく咲き乱れる城の庭、うららかな午後。声が出れば膝を突き合わせてコンコンと考え直せと言いたいところだが、哀しいかなリンのその言葉はセン姫に届きそうにありません。声がなくても生活に不便は感じませんでしたが、今無性に声が出ないことが悔しくてなりませんでした。あの、海の魔女銭婆め! と思うものの、あんなんでも身内は身内。仕方ない。
 かわりに、セン姫の気持ちは痛いほどリンに届いていたようです。
「あのね、本当はわたし、ハク王子と結婚したくはないの」
 だってわたし、まだ十歳なんだもん。結婚なんてまだはやいのに……。
リンが告げ口できないと知っているから安心してセン姫は本心を吐露できるのです。結果オーライと言ったところでしょうか? 兎にも角にも問いただしたいものの答えを得て、リンは身を乗り出すようにして話の続きを促しました。
「本当はね、わたしがハク王子を助けたんじゃないの」
 それは知っている。で、どうしてそんな誤解まみれな現状になったんだ? と視線だけで話を促します。
「わたしの国ね、養豚が主用農業なの。でも最近『人が豚になる病気』が流行って、それが豚の呪いだって言われて……。調査もして呪いの発生場所もぜんぜんうちとは違うってわかったのに、悪い噂だけ残って……売り上げ落ちちゃって」
 豚ってストレスに凄く弱いのに連日連夜の新聞取材とかあって、仔豚達死んじゃうし……。豚ってすごく綺麗好きですごく神経質ですごく繊細なのに……。
「とうとう国民にも餓死者が出ちゃうし、金策に走りまわっていたお父様まで豚になっちゃうし……。それで借金を頼みにこの国に向かっている途中の海岸でハク王子が倒れているの、見つけちゃって」
 あぁなるほど。それであんなバカな勘違いしているわけだ。と納得するも、このセン姫もガツンと言って誤解を解けば良いものの。
 まぁ、借金を頼みにきた手前勘違いしておいてもらった方が国の為にはなるのだろうけれど――それがセン姫の幸せかと問えば断じて違うなんて誰の目にもわかりきっています。けれども、ここの国だってそんなに羽振りが良くないのに、おっとり姫さんだからわからないのだろうか? こればかりは内情を説明できないのが口惜しいリンでした。
 リンは、バカ王子は関係ないとしても城の皆への一宿一飯の義理、そして避難小リスのつぶらな眸の板ばさみになって思案にくれるのでありました



豚って綺麗好きなんですよ。ストレスで死んじゃうんですよ。繊細なんですよ。