嗚呼勘違い 

 夏休みも終わり、新三年生としてホグワーツ特急に乗った時に知り合った『闇の魔術に対する防衛術』の先生にして、父親の親友にして、狼人間であったリーマス・J・ルーピン。その彼は終業の日を待たずに辞職してしまった。その事実を、三年生の終業の宴にぽっかりとあいた空席で思い知らされてしまったハリー・ポッターは、優勝杯がグリフィンドールに下された喜びもどこかかすんでしまう心地がした。
 ルーピンの教え子であるハリーとロンとハーマイオニーは、宴が終ってからも談話室でお喋りをしていた。どっちにしろ優勝杯を手にしたお祭りがそこかしこで繰り広げられていて、皆して夜更かし必至であるのだし。
 内容は、今しがた終ったばかりの宴の料理や、とうとう手にした優勝杯や、家に帰った後の話。なによりもこの一年間世間を騒がしていた『闇の魔法使い』と言われるシリウス・ブラックのこと。そして狼人間と言う秘密を隠していたルーピン教授――ハリーの今は亡き父親の、無二の親友達についてだ。
「とっても残念だわ。ルーピン先生が辞めてしまわれるなんて」
「そうだよ、基礎ばっかり喋ってたあのクィレルの一年が終ったかと思ったら次はあのロックハート! 三年生でやっと面白い授業のルーピンになったのに、やっぱり一年も続かない」
 あら、ロックハート先生はあれでもよくやった方よ! と、ハーマイオニーが誰も信じないロックハート弁護をした。誰も信じないと自分でもわかっているのだろう、顔がどこか赤かった。視線がなにもない宙空をうようようようよと泳いでもいた。そんなハーマイオニーに、ハリーもロンもしらっとした視線を向けるだけであった。ハーマイオニーは、わざとらしくこほんっと小さく咳払いをした。
「次の『闇の魔術に対する防衛術』の先生なんて見つかるのかしら」
「かと言って、あいつがなるのだけは願い下げだし」
 そうなったら僕達揃って単位取れないぞ、とハリーが続けると、ロンもハーマイオニーも真っ青になった。いくら授業をしっかり受けていても、いくらレポートをしっかり書いていても、いくらテストで高得点をあげていても、グリフィンドール嫌いの上にハリーを目の仇にしているスネイプ教授が教鞭を取るとなったらそんなものは関係ない気がした。成績優秀なハーマイオニーですら『ハリーの友達』であるだけで単位取得は危ういところだ。スネイプ教授に大人の分別を期待するしかないではないか。
「ま、まぁ。ダンブルドアがどうにかするさ。今までなんとかしてきたんだし」
 ただしロックハート以外はね! とロンが混ぜっ返すと、ハーマイオニーの顔の赤味が増した。
「僕、夏休みの間にルーピン先生に手紙を出すよ。だって、なんかちゃんと御飯を食べているか心配にならない?」
 とロンが茶化すと、ハリーはそっとため息をついた。それは、はじめてホグワーツ特急で見たあのへろへろ加減を思い出せばたしかにちゃんと御飯を食べているか心配になるからでもあったし、マグル式の郵便ではどこにいるかわからないルーピンに手紙を出すのは不可能だろうし、かと言ってヘドウィグに手紙を託そうにもダーズリー家にいる限りそれは不可能に限りなく近いだろうので。こんな時、マグルの家にいるのは不便だ。まぁ、あの家族がマグルから似合いの魔法生物に変わったところで(ハリーは個人的に、トロールなんかが似合うのじゃないかと考えていた)ハリーにとって居心地良いものに変わるとは思えなかったが。
「ルーピン先生って、なんだかいつでも手紙を書かれている印象があるわ」
「君もそう思う? 用事で三回ルーピンの部屋に行ったことあるけど、いつでも手紙を書いてた」
「ルーピン先生の部屋って、なんだか面白かったわ! いつでも新しい魔法生物がいたもの!」
「そうそう! 僕、上級生用のアーヴァンクを見せてもらったことがあるよ。あれ、授業でやりたかったなぁ」
「いいなぁ、上級生用見られたなんて。僕は水魔を見せてもらったけど、授業で見た時にあんまり驚けなくて面白さ半減」
「ハーマイオニーはルーピンの部屋でなにを見た?」
「……え?!」
 ルーピンの部屋と言えば、甘い飲み物と甘いお菓子と、手紙を書いている部屋の主と、新しい魔法生物。そんな印象が三人三様あると言えばあるのだが……ハーマイオニーは、ロックハートの話題の時よりも真っ赤になり、尚且つもじもじとし、さりげなくお尻に手をまわした。
「わ……わたしは――河童、とか」
 ハリーとロンは、そんなハーマイオニーの様子に、おもわずまじまじと彼女を見つめてしまった。どうしてそんなことを言うだけで真っ赤になるのだろう、見ている間にも限界ぎりぎりまで俯いてしまうし。これはなにかある。河童は授業で習ったから良く知っている。河童自体にハーマイオニーをこんなにも変な態度にさせる要因はないはずだ。絶対に河童を見ただけではこんな仕草を彼女がするわけがない。
 グリフィンドールの凸凹コンビは、顔を見合わせ、同時に口を開いた。
「見損なったぞ、ルーピン! ルーピンだけは、昨今流行のセクハラ教師じゃないと思ってたのに!」
「父さんの親友が生徒に悪さする奴になってただなんて、父さんは草葉の影で泣いてるよ!」
 ハーマイオニー、夏休みまでなんて待ってらんないよ! 今から文句の手紙をルーピンに送りつけてやる! 
 握りこぶしをつくって吼えた男友達のその突拍子もない空想に、当事者のひとりは口を挟む隙さえもなかった。ハーマイオニーの反応を見て『尻子玉』云々のくだりを授業で教えなかったルーピンの配慮が裏目に出た格好だ。
「あ……あの、ハリー? ロン??」
 そうとなったら善は急げだ! 今から手紙を書いてヘドウィグを飛ばすぞ! と正義と友情に燃えて意気込み、羊皮紙と羽ペンとインクを取りに螺旋階段を駆け上ったふたりの背中に、気の抜けたハーマイオニーの声は届くはずもなかった。
 思い出したのはルーピン先生じゃなくて河童の話だったのになぁ。どうしたらあの猪突猛進型のふたりを止められるのかしら……ハーマイオニーの悩みは果てしなく根深いものであった。


 懐かしいと表現するにはまだはやい教え子達からの手紙を受け取ったルーピンがどんな表情でそれを読み
「やぁ、青春っていいねぇ。友情だねぇ」
 と他人事のように笑ったことを誰も知らない。