遠い音に包まれて




 ぱったりと人の出入りが途絶えた、冬のトッペンカムデン城。
 そこに唯一、足繁く通う者がいた。魔法使いレジーである。
 国王代理との約束を、仕事の都合以外では破る気もなかった彼は、結果三日に一度城に顔を出すこととなっていた。
 今日は、通い始めて六度目の茶会。
 いつもは時間に正確なレジーが今日に限って遅かったので、雪が真っ黒な空から音もなく落ちてくるのを眺めながら、まさか事故にでも……と思い始めた矢先に召使から来訪を告げられたので、ローラ姫はほっと息をはいた。
「レジー、どうしたの?! もう、心配したじゃない」
 来られそうにないなら無理しなくていいのよ、こんなに雪が降っているのなら連絡がなくたってわかるんだし……と言いたいが口にできない、なかなか大人になりきれないローラ姫であった。彼がそんな状況の中でも自分に逢いに来てくれたことが嬉しい気持ちとがせめぎあっていたからだ。
「とりあえず! はやくこっち来てっ」
 カノッツァの杖を持っていない方の腕をぐいぐいとひっぱって、無理やり暖炉の前に座らせる。
「服は乾いてるぞ?」
「いいのっ。見てて寒そうだから、私の為にそこに座ってて!」
 そんな言い方をされれば、さすがのレジーもなにも言えなかった。おとなしく『ローラの為』に、毛足の長い上等の絨毯の上に座っている。
 ローラ姫手ずからいれた紅茶を両手でくるむ。どこも冷たくないはずなのに、じんわりと温かみが染みとおっていく。
 ローラ姫もレジーにならって、暖炉の前に座り込んだ。
 本日の茶会はなんとも不思議だなぁとは、どちらの胸の内に先に上がった感想であろうか。
 どちらも口を開くことなく、じっと暖炉の火をみつめ、紅茶を口に運ぶ時間が過ぎる。
「でかけに探し物をしていて遅れた」
 すまん、とレジーが口を開いたのは、二杯目の紅茶を受け取った時だった。
「別に怒ってないんだけど」
 ただ、この雪の中方向を間違えていないか、空飛ぶ絨毯の上から落ちたりしていないか、または動けないほどの風邪をひいてやしないかとか考えてあんなに不安になったくせに、この茶会をやめようとは言えない自分が恥ずかしいだけで。レジーが無事だったことが嬉しいだけで。ただそれだけで、顔を見ることができない。
 いろいろなものがない混ぜになった気持ちを悟られたくなくて、ローラ姫は殊更ぶっきらぼうに話の続きを促した。
「で? なにを探していたの?」
 レジーは横の小卓の上に茶器を置くと、袂を探りだす。取り出したのは、小さな青い瓶と麻袋だった。
「これだ。面白いことをやってやるから、このふたつが入るものはないか? グラスでいいんだが」
 目の前のふたつでなにが出来るのだろうと小首を傾げながらも、ローラ姫は扉をあけて召使にグラスを持ってくるように言いつけた。
 ほどなくしてグラスが用意され、茶会の場も本来の椅子とテーブルにようやく移っていた。
 レジーは青い瓶の中身をグラスにあけた。それはただの水に見えたが、ローラ姫がじっと見つめていると、ほのかに色が閃いてみえた。赤や、黄色や青、緑……ふわりと色づき、ふわりと消えていく。
 その様にローラ姫がみとれている間に、レジーは麻袋の口をあけていた。中に入っていたのは、一粒の胡桃。表面には、赤色で大きな三角と三本の線が描かれている。
「それ、魔法の胡桃?」
「そうだ。俺の知り合いがつくったもので、面白がったらみっつだけくれたんだ」
 かわりに俺の研究成果ももっていかれてしまったが、とレジーはため息をつく。その様子がなんだかおかしくて、ローラ姫は途端にご機嫌になった。
「それでどうするの?」
 ねぇはやくと急かされて、レジーはその胡桃をグラスの中に沈ませた。途端、グラスの中では色が踊った。胡桃がグラスの底に沈んだ瞬間より、表面の見えない小さな穴から一斉に空気が漏れた様にぽこぽこしゅわしゅわと泡が吹き出、それに反応したのか液体の色の変化も激しく濃くなった。
「うわぁ! キレイ……」
 藍色から紫に、そしてオレンジや赤に色を変える『透明な液体』は白い星が瞬いているようで、ローラ姫は素直にはしゃいだ。たしかに面白かった。
「もう少し待ってろ。これは、本来の魔法が発動する下準備だ」
 そうレジーが言った瞬間、グラス全体がほんのりと光を放った様にローラ姫には見えた。そして、耳に入ってくる音が、暖炉の薪が弾ける音でも、グラスの中の気泡の音でもないことに気がついた。
「鳥の……・声?」
 それも、春の鳥。
「これは『音を記憶する魔法』なんだ。中和し調和させる水の魔法と、物事を留め置く地の魔法と、音を紡ぐ風の魔法のみっつを重ね合わせたもので……」
 レジーは説明する言葉を、ローラ姫の表情を見て呆れ果てて途中で切り上げた。ローラ姫が部屋中にあふれている鳥のさえずりにしか耳を傾けていないことは明白だったからだ。
「お前に説明しても、どうせわからないしな」
 と言ったレジーの言葉すら、彼女の耳には届いていないだろう。それ程にローラ姫は嬉しそうだった。
 グラスの中いっぱいに、しゅわしゅわしゅわと気泡が立ちのぼり、小さくぱちんぱちんと弾ける。
 チキチキチキチキ……チッチッチッチ……
「あ、カノミナ鳥の鳴き声! 淡い緑色の……尻尾が黄色い……」
「よく知っているな」
 カノミナ鳥とは、鳴き声はいまいちで滅多に鳴かず、そしてなによりも優美な姿形が有名である。飼育が難しい為観賞用には向かず、鳴き声だけでその名前を言い当てたローラ姫にレジーは感心してみせた。
「一度、城の庭に巣を作ったことがあって、それで知っていたの」
 ちなみに、それに気がついていたのは、ローラ姫と庭師の二人だけだった。
 ローラ姫は、なおも春の音に耳を澄ませる。
 様々な鳥の鳴き声が聞こえる。時折強く風が吹いて、木々の葉をごぅと揺らす。一斉に鳥が飛び立つ羽音が聞こえ、しばらくすると一羽二羽ともどってき、またさえずりだす。
 はじめのうちは、知っている鳥の鳴き声がすると嬉しげにその名前をあげ、「この鳥もあの森にくるんだー。いいなぁ」と羨ましがっていたローラ姫であったが、いつしか頬杖をついたまま黙りこくってしまった。目を閉じて、次の季節を、今から一番遠い季節の陽の光や風を思い出しているのかもしれない。
 レジーは、その穏やかな空気を乱さないように気をつけながら、窓の外を眺めやった。
 冬の真っ只中。雪灰を通り越して黒い雲が、時刻は夕刻にちかい頃だと言うのに光を閉ざす。しんしんと雪は降りつむ。
 小さな小さな水の結晶が、それでも確実に積もっていき、生ある者の命を脅かす。しかしそれも、いずれくる春にすべて再生される。
 魔法使いであるレジーには言えない。『冬は悪しきモノ』だとは、この世の理を追求する者として言えないのだ。どんなにそのことで、人々の生活を守る国王代理が悩んでいたとしても。だからすこしでも彼女の心が光に満たされているようにと、気まぐれに春の音を記憶させた魔法の胡桃を掘り出して持ってきたのだ。
 やがて胡桃から出ていた気泡の量が少なくなり、ぱちんっと最後の泡が弾け終った時には、部屋は静寂に満たされていた。
 グラスの中で胡桃が音もなく割れ、中に詰まっていた白い石と胡桃の殻がぷかりと水面に浮かぶ。
 魔法は終わってしまった。けれども、魔法では残せない物がローラ姫の、そしてレジーの胸の中には残った。
 相手を気遣う気持ち。気遣われて、素直に嬉しいと感じる気持ち。それと、永遠に続くかと思われる黒い空が、確実に蒼穹へと変わることの希望が――やがて来る春への希望が、残る。
 遠くて近い季節の仮初の音が去ったこの部屋に、そうした『春』の気配だけが、残るのであった。


   ※※※ おまけ ※※※


「レジーにもこの魔法の胡桃、作れるの?」
「いや、俺はこう言う繊細な魔法は苦手だ」
 ローラ姫の質問に即答するところを見ると、本当に苦手そうである。
「これ作った魔法使いってどんな人? この前のゼフォーみたいな人?」
 まだ記憶に新しい、冬の入り口に起きた事件の首謀者を指して、ローラ姫は『繊細』の例題としてみた。レジーと共通する知人の幅が極端に狭い為だ。
 たしかに件のゼフォーは、外面だけならキラキラしい繊細な人、又は芸術肌な人と評しても遠すぎる程ではない。根性と神経は、繊細というよりは荒縄並と表現する方が的確だが。
 レジーは嫌なことを思い出して、見るからに不機嫌になる。ゼフォーを思い出したこともあるが、彼を指して『繊細』と言ったローラ姫の感性に不機嫌になったと言うのも、一割ほど魔法使いの心を占めていたが。
 ふたりの思いは、どこまで行っても平行線かすれ違いのようであった。