春の太陽 〜レジー・サイド〜




 落ちてゆこう。
 どこまでも落ちてゆこう。
 底のない穴のような、この不可解な感情に。


『愛しい』なんて思いも知らずに、安心しきった表情でよりかかり眠る少女を眺めながら、不器用な魔法使いは心のうちでそうつぶやいていた。

 木々の葉の隙間から太陽が白い淡い光となって、ローラ姫の髪先で踊っている。
 春のまろやかな大気が二人の髪を揺らし、彼は国王代理が目を覚まさないか、その膝の上で不安定に揺れる読みかけの本が落ちやしないかと心配する。
 小高い丘は一面の緑。
 花々が頭を揺らしている。
 ビスケットを抱えながら、使い魔のネズミの小さな頭もゆらゆら揺れる。

 ピクニックの弁当を広げる前、ローラ姫が木に抱きつきうっとりと目を閉じていた事を思い出す。
「気持ちがいい」
 と額を押しつける彼女は、元気そうにしていてもどこか疲れているとレジーには思えた。

 春の訪れを祝う迎春祭は各領地でも行われるが、一番の規模を誇るのは王城でのそれである。国王代理ともなれば、率先して祭りを取り仕切らねばならず、ローラ姫は三日前の迎春祭までろくに眠ってはいなかったはずである。祭りの後処理は筆頭貴族が行うことになったとは言え、まだまだ忙しい身の彼女。
 
 そんな彼女がレジーとのピクニックの約束を――雪も降ろうかと思われる寒い日に王城を襲った、災難・・・ローラ姫の不注意事件とも言うが・・・その時に無理やり丸め込むようにしてかわしたそれを実行しようと、普段以上に張り切って書類に向かい、今日この日を休みにした事実をレジーはちゃんと知っていた。

 わがままで考えなしで、けれども不器用ながら一生懸命なローラ姫は、まるで春の太陽。
 思いが先走り空回りしたとしても、誰もが彼女を必要としている。
 雪を溶かし、凍えた大地にぬくもりを与える暖かな存在・・・彼女は着実に、王としての資質を磨いていた。
 誰もが待ち望む、冬明けを知らせる春の光は、レジーの胸のうちにもきちんと届いている。

 だからこそ、だからこそと思う。光が溶かした心の穴は、深くて底の見えない穴。なにがあるかもわからぬ、未知の穴。それにさえ、無謀とも思えるその穴にさえ、自分は落ちてみようと・・・レジーは思うのである。
 落ち続ければいずれ辿りつく、今は手の届かない答えを知る為に、彼は落ちることを厭わずにいた。
 傍らには小さな太陽。
 魔法使いは声ならぬ声で、落ちてやるよとつぶやいていた。