戦のざわめきが聞こえる。
剣と剣のぶつかり合う音。馬のいななき。号令に銅鑼の音が響き渡る。
大地を揺るがす大音――そのすべてが、今はとても遠かった。
この部屋だけが、静謐にも似た静寂と、純粋な死に満ちていた。
姫のかわりに死を受けること――それはある意味、私にとっては本望だったのだ。
◆◇◆
それは、ほんの少し前の記憶。
狭く暗い牢獄にいて、手足には枷がかけられていた。
重く冷たいそれらにも、いつしか慣れてしまっていた。
手の届かぬ高い位置にある、明かり取りの小さな窓の外の蒼い空は、まるで自由の象徴。だが、なんの変化もない虜囚の日々が、空を見上げることすらもさせなくなっていた。ひたすら、内にある世界へと目を向けさせ、それすらも緩慢な思考へとすりかわっていく。
国王代理の暗殺を企てた我が身は、未熟な王の治世の元、完全に忘れられたかに思われていた。それはどんな過酷な罰を与えられるよりも辛いことだった。痺れた時間が、自由にならぬ体をぬるく浸していた。
そして、嵐とともに訪れた、バイゼル軍侵略の知らせ。
牢獄より解き放たれた我が身に、国王代理は助言を求める。
罪人を求める愚かな王と共に滅びるかトッペンカムデン――それもまた一興、それもまたあわれ、と思う私がいた。
大地を揺るがし眼前に迫るバイゼル軍をみたその時も、ただ立ち上る土煙に、傷を負った兵士の顔に、愉悦の笑みさえ浮かべられたのだ。
私とともにこの国を踏み滅ぶすがよいとすら思っていたのだ。
だが、しかし。
はじめて目にした『戦』と言う現実に震える姫が、強く腕にしがみついてきた時――私はなにかを思い出してしまった。
それは祖国への愛、それは王と共に戦った遥かな過去の記憶――歌い称えられる我が名、自信と希望と信念が体の隅々までを満たす、震えがくるほどのその感覚。
そして、ひとりでこの国の責を負わなければならず、敵国軍を間近で見たことでその重大さを再認識し恐怖すらしている姫に――お前はひとりではないのだと言ってやりたくなった。お前が幼く未熟なのは事実だが、お前はそれだけではないと言ってやりたくなった。
だから私は問い掛ける。
「私の腕はまだ必要ですか?」
お前の命を軽んじていたこの私の手をとる勇気があるかと問い掛ける。お前に、この私が飲み込めるのか、と。
王にしか受けられないその問いを。
◆◇◆
そして。
誰も知り得なかった姫の運命を知った。
――その話は、生涯二度と口にするな――
かたい決意をおのれに科した魔法使いは、その運命を知った私に、そう言い放つ。
かすむ目で見た若い魔法使いの横顔に、私はわかってしまった。
彼は、魔法使いで、賢者で。
導き手で、護り手で。
兄で、友で。そして――……
あの王女も暗愚な者ではなく、金剛石の原石だったのだと気付かされる。磨かれもせず、輝きをはなちもしていなかったが、隠されたその価値はまさしく……それを見ぬいていたのは、魔法使いだけだったのだ。
愚かにもその輝きを見ぬけもせず惑わされ、暗殺まで企てたこの私が、その姫のかわりに死を受けると言うのも、本望だった。
だが。
この魔法使いの横顔に、生きよう、と思ったのだ。
姫の願いの為に、魂のすべてでもって応えようとしているこの魔法使いを見ていると、どんな汚泥にまみれてでも姫の行く末を見てみたいと――姫のかわりにすべての毒を乾してやろうと、そう思った。
小さな王の思いが、私を動かす。
魔法使いの想いが、私を生かす。
夜明けは……近かった。
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