まずかったかもしれん。
魔法使い組合(ギルド)第一監査官の肩書きを持つ老魔法使いは、胸中でポツリともらした。
目の前には、オルア茶に蜂蜜をたらした物が入った、あたたかいゴブレットがひとつ。最近手元に引き取った、精霊使いにして魔法使い見習いの少年がいれた物だ。
「まずいとしか言いようがないのぅ」
今度は口に出てしまう、その言葉。
まずいのは、目の前の茶ではなく――まずいどころか、ココは茶をいれるのがうまく、その上オルア茶はシャルロッテ・プラムポワーズのお気に入りだ――それをいれた少年がひそかに胸の内に掲げている『輝ける目標』のことである。
『闇の監査官』
ココと不肖の兄弟子に関する事件で、シャルロッテ・プラムポワーズみずからが口にした単語。あり得ない役職。
それをあの素直な弟子は、ひそかに目標にしているらしい。
シャルロッテ・プラムポワーズは、書斎の椅子に背中を預け深く息をはいた。
ココはよくがんばっている。精霊に愛され、心のうちで願いを唱えるだけで精霊行使を行う感覚が邪魔をして、魔法使いとしての勉強に苦労しているようだが、一途なまでの努力を『輝ける目標』の為に続けている。
だからこそまずい。だからこそ困る。
不肖の兄弟子なんぞ目標にするのはやめること、と最初に言ったはずなのだが、いつもは素直な弟子がこの点については頑としてゆずらない。
口にこそしないが、彼の目を見ていれば、そんなことは簡単にわかってしまった。
シャルロッテ・プラムポワーズは、手元の茶に視線を落とした。
その昔、同じように茶をいれてくれた幼い弟子のことを思いだす。
その時の彼は、言葉の端々や観察点の鋭さに知性の高さを予感させながらも、行動はかなりそそっかしかった。学院を脱走する行動力の高さには舌を巻いていたが。
そんな弟子が一度、茶をいれるのをこれ以上ないと言う程に失敗したことがある。
ガシャンバシャン、そして薬缶が床をはねるガランガランと言う音に驚いて駆け込んだ給湯室の中で見たものは、目を覆う程の惨状と――俯き、口をへの字に曲げた幼い弟子の姿だった。
茶壷を引っくり返し、沸かした湯が引っくり返っていた。大方、給湯室の小さな腰掛にでも足をとられ、自身も盛大に引っくり返ったのだろうと推測できたが。
火傷はしていないかと問いかけると、俯いたままこくんと返事をする。
「シャルロッテ・プラムポワーズ……先生に……お茶をと思ったのに」
床の惨状をじっと見つめて、彼はそれだけをしぼりだすと、掃除にとりかかった。
掃除が終わり、改めていれなおした茶をシャルロッテ・プラムポワーズの書斎机の上にのせるまで、彼は一度も喋らず、頭をあげなかった。
彼がその間中、何を考えていたかはわからない。けれども、彼の中にあるのが純粋に『自分になにかをしたい』と言う思いであることは、疑いようもなかった。彼の目を見れば、そんなことは簡単にわかってしまうのだ。ココの目を見るだけでその思いがわかるように。
あんなにも違う少年ふたりなのに、自分に向けてくれる感情はあたたかく優しい。同じ目をして、自分を見上げてくれている。それが嬉しかった。
もっとも、その時の彼は今のココよりもひとつふたつ年下で、今でこそあきれる程の背丈だがその時分は普通の子供の身長であったし、更に言えばココのように上手に茶をいれられず、葉の開ききっていない渋みだけの茶や葉がふやけてちくちくと痛い茶を供してくれたものだが。
そんな懐かしい事を思い出して、シャルロッテ・プラムポワーズはひそやかに笑う。
遠い空の下にいるかつての幼い弟子は、自分の守りたいものの為におのれのすべてを投げ出している。その成長を喜ばしく感じる反面少し寂しいと思いながら、老魔法使いは彼の為に祈るのであった。
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