冠の人々




 実は――もう誰も納得してくれないだろうけれど――自分は臆病者の上に卑怯者だと思う。
『鉄の王子』なんぞと誉めそやされていても、正体は臆病者で卑怯者なのだと自分が良く知っている。
 誰が信じなくても、よく、知っている。

* * *


「はぁ、参ったな……なにもこんな日に」
 こんな日だからこそ、かもしれなかったけれど。思わずため息のひとつも出てこようものだ。
 何故なら、義理の母となったブリューネル女王が、ここ暫く落ちついていた『見合い攻撃』を再開したからだ。
 日課となっている朝食前の鍛錬を終え、着替えもそこそこの朝もはやい時間におしかけては
「ラズウェルちゃん、この娘はいい子なのよ〜〜」
 と来た。しかも見合い用の小さな肖像画をあの細い腕で山のように抱えて、上から順に説明していくのだからたまったものじゃない。こちらの身支度がまだ整っていないことにも気がついていないのだから、耳半分で聞きながら曖昧に相槌を打ちつつ着替えを大急ぎでしなければならない有様だ。
 彼女いわく
『厳選した上に厳選して、おまけに妾が性格的にもOKを出した娘さんのものしか持って来てませんわ〜』
 らしいのだが、それでも数が多すぎる気がする。先代国王と女王の間に子供はいなかったので、義理とは言え孫の顔が見たくてたまらないらしい。裏も表もない無邪気な顔を見ていればよくわかる。

 おまけに、最近はあの将軍までが参戦してきて
「わしの姉の息子の親友の妹がそりゃぁ素晴らしいご令嬢なんだが、会ってみる気はないか?」
 と言われたのはつい最近だ。
 その時はその『将軍の姉の息子の親友の妹』となると将軍の身内ではないはずだけれど、と思っていたら、なんと、実は将軍の孫娘だったことが判明するし。
「いやぁ、あれは孫だったかな。ちと遠いので、姉の息子の親友の妹だとしか認識しておらんかったんだが……」
 ハゲ頭を掻きながら大笑いし、背中をバンバンと容赦なく叩かれながら、それでもまだしつこくその『将軍の姉の息子の親友の妹』なる『将軍の孫娘』を勧めてくるのはいっそ天晴れだった。
 本物のボケなのか、それとも将軍なりの策略のつもりであったのか。事実を知った時のあの脱力感は、もう暫くは味わいたくはなかった。

 実の父親側も、表立ってはいないけれど、なにかと匂わせてきているし。
「それに気がつかない自分であればよかったのに」
 とも思うのだ。父親側の見合い攻撃は、先のふたりより騒がしくなくしつこくもないけれど、巧妙さには長けていたので、断わるのに難儀する。きっと、真正面から断われば、一番最初にひいてくれる相手だともわかっているけれど。


 だから、今はそんな場合じゃないし、そんな気もないと言うのに、誰も理解してくれない。
 私室にある机の上におかれたままになっている、女王推薦の見合い用肖像画の山を無言で見下ろしてしまう。どうあがいても、ブリューネルの王位継承権、そしてウォルツワルドの王位継承権を持っている限り、どうせこんな山の中にいる誰かと結婚するしかないのだとはわかっていたけれど、今はまだその時は来ていないといい訳を捜してしまうのだ。
 他国の、しかも市井の、王子でもなんでもなかった者が突然ブリューネルの施政者の養子になる。それでこの国の貴族連中が黙っているわけがなかった。周囲を黙らせるだけの手練手管は、この数年で悲しいかなすっかり身についてしまった気がする。けれど、だからと言って『好きな女性と結婚する』なんて無理を通せるほどに弱みのない身だとも思っていない。これ以上の弱みをつくるなんてできなかった。
 現状だって、ぎりぎりの綱渡り。無理を無理無理に通している状態なのだ。あとひとつの傷もしょい込むわけにはいかなかった。
「だいたい、好きな人なんていないし」
 机の肖像画を爪の先で弾く。肖像画の裏に潜む、貴族連中の思惑が透けて見えそうな、毒々しい色使いの肖像画達にうんざりとする。
 けれど、好きな人なんていない。その上、周囲を無理にだまらせてまで一緒になりたい女性なんていない。そうなると、この肖像画はやはり必要な物で。
「好きな人」
 ――自分の心の中で、その冠をかぶって輝いていた人なら、かつて、いた。その人なら、どんな手を使ってでも傍にいて欲しかった。
「でも、今は」
 でも、今は、その人は――『大切な人達』の冠をかぶって心の中にいる。

 

ラズウェル殿、
あの非道な魔法使いの手から
姫を救い出そうではないか?!



 好きな人の、大切な戴冠式にそう呼びかけたのは誰であったのか。どうせどこぞの国の王子や貴族だったのだろう。
 けれど、その言葉に背を向けた。あの場面でなら、その言葉に乗ることこそが普通であっただろうに。英雄であり、その国の国王であるダイアモンド姫は、我欲に走った魔法使いの腕の中に囚われの身。彼女は、彼女の『味方』によって取り戻されるべき『立場』であったのだから。
 けれども、剣を抜いて背を向けたのは――守ろうとして背を向けたのは――その、悪い魔法使いと、囚われの姫。

『好きな人』の『好きな相手』になるのは、もうどう考えても無理だとわかってしまったから、せめて一番の『信頼できる人』『友達』の位置だけでも掴もうとした自分は臆病者で卑怯者だ。そんなことは良くわかっている。逆境に陥っている時に手を差し伸べてくれるのが本当の『友達』だと言うけれど、相手がそうとらえることを期待して伸べた手は卑怯の極みだ。
 けれど良かった。卑怯でもよかった。望む物を手に入れられたのなら、手段はどうでもよかった。心の中の人達は、ぴかぴかに飾り立てられたわけではないいっそ素朴とも言える冠を、それでも嬉しそうにかぶって笑っていてくれるから。その笑みがあれば、あとは時が過ぎるのを待てばいいだけだ。時はなにものをも平坦にしてくれるものなのだから。憧れも、嫉妬も、なにもかも、いつかは平坦になって、まったく別のものになっていく。

「まだ来ないのかな。まだかな……」
 私室の窓から外を見やる。青く晴れ渡った空が広がっていた。その空をすべって、見慣れた絨毯が大切な人達を――小さな子供も乗せて現れるのを、プレゼントを目の前にした子供の気持ちで待っている。
『一人』だった『好きな人』は、冠をかえて『一人』から『二人』に、そして『三人』へと増えていく。それが不思議で仕方がなかったけれど、その不思議に、この臆病な卑怯者が少しでも役立てたことが、妙に誇らしくて、久しぶりに笑うことができた。嬉しかった。