「…リン、千尋の具合は?」
千尋に言われた通り、お客様を直ちに帰らせ、自室へ戻ってきた私はリンに千尋の容態を聞く。
外は、確かに吹雪になりそうな様子だった。
おそらく1時間ほど経てば、やがて吹雪になるだろう。
「あ?ハクか。ご苦労だったな。……千尋、良くなるどころか、悪くなる一方だぞ。」
「やはり……」
「お前が来るまでに二回も気失ったんだ…。」
「吹雪になるそうだから千尋にとってはかなりつらいと思うよ。」
リンには千尋の本当の姿のことを話してある。
千尋がリンにはどうしても話したいと言ったからだ。
私はリンの隣に腰を下ろした。
「…俺、思ったんだけどよ……たぶん、吹雪だけじゃすまないと思う…。」
「吹雪だけではすまない?」
鸚鵡返しに聞いた私にリンは頷いて答えた。
「吹雪を通り越して寒波になると思うんだ。」
「何!?…何処にそんな根拠が……!」
別にリンが言うことを疑っているわけではない。
しかし、吹雪が近くなっている今でさえ千尋の容態が悪いというのに、寒波になどなったら千尋はどうなってしまうのだろう…?
私はそれが一番怖い。
千尋を失ってしまうのが一番……
「静かにしろよ。…根拠なんてねぇけど、何となくだよ。」
…と、その時。
ポゥ―――…と千尋の体が光り出した。
はっとして、私とリンは千尋の方に視線を移す。
すると、みるみるうちに千尋の体が小さくなっていく。
「……千………尋……?」
「千尋!?」
私が呟く声とリンの叫ぶ声が重なった。
そして数秒も経たない内に、千尋は熱帯魚に変化した。
おそらく、体が弱っているせいで人間の姿を維持するのが困難になってしまったのだろう。
逆ではあるが私にも経験がある。
千尋の熱帯魚の姿を見るのは初めて―――いや、二回目だが、これでもか…というほどの美しさに思わず息を呑む。
「……ハ、ハク!水用意しないといけないんじゃないか?!」
リンに言われてはっと気がつく。
「リン!何か綺麗な入れ物持ってきてくれ!!」
「分かった!」
リンが部屋を出ていった後、私は例の呪文を口にした。
『我の内に秘められし水をこの者に分け与えよ』
今までのようにはできないため、今回は千尋の体を両手で包み込んだ形で術をかける。
いくらこの術をかけたとしても、たぶん、魚の姿では効き目が少ないだろう。
それ程にも魚の体というのは水を要する。
しばらくしてリンが容器を片手に戻ってきた。
「これでいいか!?」
「……よくこんなに綺麗な入れ物を見つけられたな…。」
「ちょっとな。」
リンから容器を受け取り、その中に熱帯魚の体に適温な水を魔法で注ぎ込む。
そしてそこに千尋をそっと入れてやった。
しかし―――。
千尋は水面に浮いてきて横たわってしまう。
まさかこれ程にも弱っていたとは……
「……ハク…やばいんじゃねぇか…?」
「…私もそう思う……」
「私が力を貸しましょう。」
突然聞こえてきた第三者の声に私とリンは振り返る。
「……あなたは……?」
振り向いた先には私よりも4、5歳年上の綺麗な女性が立っていた。
「私は千尋の姉の千歳(ちとせ)です。」
「千尋の……姉…ですか…?」
「ええ。…やはり容態がかなり悪いようね…。」
そう言うと、千歳様は千尋へ近づく。
「千尋……千尋、私の声が聞こえる?」
〈………お姉……ちゃ……ん……?〉
「そうよ。きっと体調を崩してると思ったから千尋の様子を見に来たの。」
そこまで言った後、千歳様が千尋を入れた容器に手をかざした。
すると、千尋の体が光り出し、人の姿を象った千尋が千歳様の腕の中に収まっていた。
その瞬間、千歳様が驚きの声を発する。
「えっ!?千尋、こんなにも軽かったかしら?!」
並大抵の軽さではないらしい。
思い当たることはあるが…。
「……千歳様…。千尋はここのところ、何も口にしていないので…」
「…………。食べられないということ?」
「はい。口に含んでもすぐに戻してしまう状態です。」
「…そうだったの…。もっと早く来てあげればよかったわ……」
そう言いながら、千歳様は千尋を敷いてある布団に横たわらせた。
千尋は未だに荒い呼吸といやな咳を繰り返している。
そんな千尋の髪を撫でながら千歳様が言った。
「千尋、聞いてちょうだい。…お母様とも話し合ってね、千尋がどんな気温でも地上で暮らしていけるように魔法をかけた品を作ることにしたの。それを持っていれば、寒さで体調を崩すことが防げるように。だから千尋……あと三日間だけ待っていて。もう少しだけ頑張るのよ。」
ぎゅっと千歳様が千尋の手を握る。
それに応えるかのように、千尋が千歳様の手をわずかながら握り返したのがここからでもわかった。
その反応に千歳様が微笑む。
そして今度は私とリンの方を振り向いて言う。
「私は母と品を作るために一度帰ります。…だから、二人とも、妹を……千尋をよろしくね。」
『わかりました』
私たちのその返事に満足したのか、千歳様は私の自室から姿を消した。
『そうだわ。…なるべく妹の体を温めていてあげて…』
思い出したように、千歳様が最後にそう言い残していく。
「……体を温めるっていってもどうすりゃいいんだ?…なぁ、ハク。」
「釜爺に頼んで体が温まるような薬を作ってもらおう。」
「そうだな…。んじゃ、俺が行ってくるわ。お前は千尋の側にいてやんな。」
「すまない、リン。…頼む。」
「別にいいって。」
そう言いながらひらひらと手を振り、リンは私の部屋から出て行った。
時は既に翌朝を迎えようとしている所であった。
「…ハク、持って来たぞ。」
俺はハクの部屋に入るなり、釜爺が急いで作ってくれた煎じ薬を手渡した。
「あぁ、ご苦労だった。」
「結構熱いから気をつけろ…だとよ。」
「わかった。」
そう言うや否や、ハクは湯飲みを手で包み込んで何か呟く。
どうやら魔法らしい…。
たぶん少し冷ましたんだと思う。
千尋がすぐに飲めるように。
「千尋、薬だよ。これを飲んで…」
魔法をかけ終わったのか、そう言ってハクが千尋の口に湯飲みの縁を持っていく。
俺はその様子を黙って見守っていた。
邪魔かもしれないけど、千尋の事がとにかく心配でたまらない。
ハクは千尋の首下に腕を滑り込ませ、少し頭を持ち上げてやっている。
コクン。
と、わずかながら千尋の喉が動いたが……
「……うっ…!」
口許を抑えて薬を戻しちまった。
水分まで受けつけられないのか?
このままじゃ…千尋が……!
「…どうするんだ?ハク…」
「…………」
俺の質問には答えないでハクはじっと千尋を見つめている。
そして何か決心したようにハクが行動に移した。
「………!?」
俺は目の前の光景が信じられなかった。
ハクは俺が持ってきた薬を少しだけ自分の口に含んで、そのまま千尋の唇に口付ける。
「……なっ……」
「んっ……っ……っ…!」
吐き気を必死に堪えているのか、千尋の顔が苦痛に歪んだ。
「おい!ハク?!」
それでも千尋から唇を離さないのは…千尋が薬を戻さないようにするためか…?
数十秒後、やっとのことで薬の最初の一口が千尋の体内に納まる。
「……はぁっ……はぁっ………」
それを確認したハクが千尋から離れると同時に千尋は苦しそうな息を紡ぎだした。
しばらくして千尋が落ち着くと、さっきの行為を繰り返す。
この様子を、俺は黙って見守ることしかできなかった。
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