Meeting with its love
The miracle of an end
Written by Maki

 霞む視界の中で、その二人はゆっくりと近付き、寄り添った。
 綺麗な光景だと思った。
 ひどく場違いな格好をした青年と、傷つき汚濁にまみれた少女。
 その二人はこの終りを迎える世界で異端でありながらもその場に似つかわしかった。


 神とやらも粋なことをしてくれる。
 最期に見るのが地獄絵のような世界だけではなく、こんな綺麗なものならば、多少はこの世への未練も少なくなるかもしれない。


 願わくば、この二人に幸あらんことを。






逢  瀬

   

最終話
終末の奇跡








 時と時の狭間。
 濃い闇の中で、閉じられた瞳がゆっくりと開く・・・現れるは、対の翡翠。
 遠くを探るように、視線をめぐらせていた瞳が、大きく見開かれる。 
 許された刻がきた、と。
 誰に言われるのでもなくそう悟った。
 永い永い試練の時が終りを告げる・・・それまで封じられていた力が奔流のごとく、身体の隅々にまで行き渡る。
 ああ、やっと。やっと・・・!!
 歓喜に魂が震え、昏き瞳に再び輝きが宿る。

 ―――コハクヌシよ。よく、耐えた・・・。

 突然耳に声が響く。重く厳かな声には聞き覚えがあった。
「長」
 応じると、目の前にその姿が音も無く現れた。
 彼はその足元に跪き、静かに頭を垂れる。
 その身に備わった威厳が、彼を自然そうさせる・・・現れたのは竜の長。すなわち彼の長であった。
 長は彼に面をあげるよう促し、ゆっくりと語り始める。
 ―――いざ。時は来た。
「は・・・」
 恭しさを装いながらも、喜びを隠し切れぬ様子に、長はその表情を曇らせた。
 訪れたしばしの沈黙が、その苦悩を良く物語っている。
 やがて長は苦々しさを交えた声で告げた。
 ―――後悔するやも、しれぬぞ。
「長・・・?」
 ―――ひとは、変わってしまった・・・もはや我らでさえ、救えぬほどに。
 ・・・・・・それでもそなたは会いに行くのか?
 長の心情は複雑なものであった。
 長にとって一族に連なるものはどのようなものでも愛しい・・・たとえ堕ちたものでも。
 出来ることならば、傷つく姿を見たくないというのが正直なところだが・・・それでは彼がこの長い、星霜と呼べる時間を生きてきた意味がなくなるというもの。
 そう、ただこのときのために、誰も成し得なかった試練に耐え、彼は生きてきたのだ・・・だから。
「例え、どのような形で出会うのだとしても・・・後悔は致しませぬ」
 予想通りの答えに、半ば諦めを混ぜた微笑を浮かべ、ゆっくりと長は片腕を上げる .
 ―――いざ。約束の刻は来たれり。わが愛ぐし子よ・・・試練に勝利した勇者よ。
 その袖が一閃されると、闇が振り払われ、一筋の道が現れる。その先にあるのは眩いばかりの光・・・目をこらし、彼は先を見据える。
 ―――行くが良い。そして竜と人との物語に新しい記録を記せ。
 長の声を背中に受け、彼は再び光差す世界へと足を踏み入れた。





「間もなく世界は終わろうとしています」
 今更分かりきったことを、かろうじて映っているテレビの奥でアナウンサーがまるで日常のニュースを読み上げるように、冷静に告げている。
 やけにそこだけが「普通」に見えた。「普通」そう、「普通」・・・いや、それ自体が異常なのだ。
 今目の前で起こっている事態を拒否した結果が、こうなのだろう。
 かつての「日常」にしがみつくことで、迫り来る現実から・・・恐怖から逃避しているのだ。
 何ら変わらぬ平凡な日々。続くルーティンワーク。飽きるほど退屈な日常。
 きっと死ぬまで続くはずだった「日常」は、ある日突然タイムリミットを刻み始めた。
 何が原因かなどは・・・きっかけはきっと些細な出来事だったのではないかと思う。
 はじめは新聞の片隅に載っていた諍いの記事が、日が経つに連れ、紙面を覆う面積を増やし・・・ついには地球さえ覆いはじめた。


 意地の張り合い。
 大国同士のエゴ。
 宗教戦争。


 今ならなんとでも言えるのではないだろうか。
 はっきり分かるのは、もう世界には時間が残されていないということだ。
 人はこんなにも愚かだ。
 己の首を自分で締めつづけた結果が、これ、だ。
「あと、三時間で、新型ミサイルが発射されます・・・」
 後、三時間。
 アナウンサーは再び、淡々と話し続けている。
 変わらない表情。異常な冷静。
 それを「普通」に見ている俺もまた、異常なのだろう。
 テレビを消すと、俺は外に出た。





 くやしい。
 むなしい。
 かなしい。
 こわい・・・。


 行き場の無い慟哭。悲鳴とすすり泣きが聞こえる。


「くやしい、くやしい」
「・・・こわい」
「私の人生は一体なんだったのだ!!」
 そう言ってまわりの人間達は嘆き、哀しみ、怒り、恐怖する。
 俺はただそれを冷めた眼差しで見つめるだけだった。
「どうしてそんなに冷静なんだ!」
 世界が終わろうとしているのに・・・!
 ・・・だから、何だというのだ。
 口元に嘲笑を浮かべて俺はそう返す。
 もう何年も前から、俺は世界に・・・人間に絶望していたのだから。
 人間のなんと残酷で勝手なことか。
 愛を語りながら、次の瞬間にはそれを翻す。
 愛なぞ、所詮はエゴに過ぎない。
 独り善がりの思いなぞ、俺は信じない。
 だから目の前の少女の話なぞ、信じられるはずも無かった。





 再び足を踏み入れた世界は、かつて知っていたものと大きく変わっていた。
「これが・・・これが、報いか?」
 これが試練に耐えた者への、報いなのか?
 目に飛び込んできた風景に、絶句することしか出来なかった。
 辺り一面に広がる焦土。
 異様に紅い空。
 生臭い空気。
 かつて在りし、風の気配も、水の匂いも今は無く・・・
 ひとかけらの優しさの見出せぬ、神々の恩恵を感じられぬ世界。
 ―――ひとは、かわってしまった・・・・。

「これが長の言われていたことか・・・」
 彼女もまた、変わってしまったのだろうか。この風景のように。
「それでも私は、行く」
 それが、約束だから。
 ゆっくりと、彼は空を振り仰いだ。
 血のように紅く染まった空を。





 外に出て、まず目に入るのは、崩れ落ちた建物の残骸。
 そしていまだくすぶっている紅い炎と、黒焦げの遺物。
 まさに地獄絵のごとき世界が、そこにある。
「くだらない。これが結果か」
 吐き捨てて、唇を歪める。


 かつて、俺はとある研究のメンバーだった。
 世界中から優秀な学者を集めたプロジェクトで、目的は平和的なものだと聞かされていた。
 そう。
 良くある話だ。陳腐すぎて今更新鮮さの欠片も無いような。
 果たして、それは軍事利用され・・・そして世界が滅ぶに至る。
 仲間には罪悪感の末に自殺した奴もいたが、俺は最早どうでも良くなった。


 早く、滅びてしまえ。
 こんな世界など・・・人間など。


「なんだ?」
 不意に耳に流れ込んだ細い歌声は、賛美歌だった。
 高く澄んだその声の音源を探って足を進めていくと、教会があった。
 前の爆撃によって崩れかけてはいるものの、まだかろうじて十字架を掲げている。
 廃墟に響く歌声は、怒りも悲しみも感じられない。
 ただ、終末へと向かう静かな覚悟を歌に乗せているかのように。
 静かにただ、その時を待っているのだろうか?





 ざり、と靴の下で砕けたガラスが割れる。
 その音で気配を察したのだろう。歌声が止んだ。
「誰・・・?」
 警戒も露な声は女性のもの。
 まだ少女だろうと検討をつけて、俺はその暗い礼拝堂内へと足を踏み入れる。
 少女の息を呑む様子が聞こえた。
 当然だろう。終末が訪れると分かり、自暴自棄になった輩の犠牲になった人間の数は知れない。その中でも老人や女性、子供といった弱者は狙われやすい・・・ことに若い女性は。
「すまない・・・歌が聞こえたから。邪魔をしたなら悪かった。出て行くから・・・」
 そう背中を向けると、
「待って」
 制止の声がかかり、やがて足音がこちらに近付いてくる。
 振り返った先には、予想通り一人の少女が失望の表情で俺を見ていた。
「・・・違うのね」
「?」
 怪訝な眼差しに答えるように、少女は薄く微笑んだ。
「待っているのよ」
「誰を?」
「・・・ずっと。たった一人だけを」
 ずっと?待っている?
 鸚鵡返しに聞くと、少女は微笑をうかべたまま、頷いた。
 少女の微笑はすがすがしく美しかった。
 そのわけを、俺は知りたくなった。
 このくだらない世界の、最後の三時間を飾るに相応しい与太話だと、思った。





 脳をつんざくような衝撃に、彼はよろめき、跪いた。
 いくつもの断末魔の悲鳴が、容赦なく彼に襲い掛かる。
 ・・・・・・タスケテ!!タスケテ!!
 アアアアアア・・・!!
「・・・っ」
 元々そういう「声」を聞く存在で在った故に、否が応でもその「声」は彼の中に飛び込んでくる。
 その中に、まだ彼の探している存在を感じないのがまだ救いかもしれない。
「早く・・・」
 はやく見付けなければ。
 はやく・・・はやく・・・。





「私の話が信じられないという顔ね」
 苦笑を浮かべて少女・・・千尋と言うそうだ・・・は俺を見た。
「当り前だ。そんなおとぎ話、誰も信じやしないさ」
 信じられるはずも無かった。
 彼女曰く、ずっと昔・・・それは生まれる前の話であったらしい。
 再会を約束した存在がいたそうだ。
 だが、彼と彼女はあまりにも違う存在ゆえに、その生の中では見えることは叶わなかったらしい。
「でもね、何度も会っているの」
「生まれ変わるたびに、ほんのちょっとだけ。でもね、私はその時まであの人を忘れているの」
「って、そいつ、人間じゃないじゃないか」
「そうね」
 あっさり肯定して、千尋は口を噤んだ。
 馬鹿馬鹿しい・・・だが、彼女の様子は全く普通で、気が触れて妄想を口走っているような様子ではない。
 俺は信じないながらも、想像してみる。
 きっと、それは気の遠くなるような長い時間なのだろう。
 いや、彼にとっては瞬きするほどに短いのかも知れない。
 時の流れは人、それぞれ。
 同じ時を生きるのであっても、その流れは短くもあり、長くもあり・・・。
 その逢瀬のひとときは、長くもあり。
 短くもあるのかも、しれない。





「今回はね、違うの」
 再び千尋は語り出す。
「私、生まれたときから彼を知ってた。ずっと待っているの。ずっと探しているの」
「後、三時間だ」
 千尋の言葉を遮って、俺は吐き捨てる。
「・・・・・・」
「後、三時間で世界が終わる」
 俺は知ってる。現実はそんなものではない。現実はそんなに優しくない。
 それでも待つというのか?
「・・・ええ」
「馬鹿じゃないのか?そいつがこんな世界に現れるはずないだろう?終りしか、この世界にはないんだ!」
 イライラする。
 なんで、この目の前の少女はそんなものを信じているのだろう。
 そんな、くだらない、愛なんてものを。
 独り善がりの、都合のよいものを・・・!!
「そうね。そうかもしれない。私の勝手な思い込みかもしれないわ・・・でもね」
 ステンドグラスから光が差し込み、二人に降りかかる。
そのなかで千尋は、その後に座する聖母と同じ微笑を浮かべていた。
「でも、私は信じるわ。・・・約束だもの」
 きっと何を言っても揺らぎはしないのだろう。その瞳は信じることを恐れない強さを持って輝いている。
 何かに打たれたように、俺は己を抱きしめ、唇を震わせた。
「俺は・・・俺は」
 そう、口を開きかけたときだった。


「!!」
 凄まじい轟音と衝撃。
 視界が真白に染まり、次の瞬間俺は身体を壁に叩きつけられた。
「が・・・はっ」
 喉からせりあがってきた熱いものを吐き出す。
 口の中が鉄錆の味になり・・・のろのろと開けた視界のなかでそれは赤かった。
 血だ。俺の血だ。
 認識すると次は激痛が全身を襲う。立ち上がろうとしたが、叶わず、元は教会の一部であった壁にもたれた。
 すぐ近くで爆撃があったようだ。
 直撃ではないが・・・爆風に耐えられず、教会は崩れ落ち、瓦礫へと姿を変えていた。
 ああ、これはもう、長くないな、と自分でも思う。
 遠のき始める意識の中で、最後に出会った少女のことがふと蘇った。
 あの少女も無事ではないだろう。
 死んだのだろうか。
 最期に結局出会えず。それでも信じて。
 少女の・・・千尋の強い瞳を思い出す。
 あれは、俺がなくしたものだ。
 俺が欲しくて仕方なかったものだ。
 信じること。
 裏切られても、傷つけられても信じる強い心が、欲しくて。
 俺は逃げていたのだ。
 人間を信じられないと言って、闘おうとせず、ただ、逃げた。
 嘲笑うことで、自分を護り・・・ああ何故もう少し早く気付かなかったのだろう。
 何故人が最期にあんなに取り乱すのか、ようやく分かったが、もう遅い。
 ・・・・・・あの少女に、酷いことを言ってしまった。
 謝ることも、最早出来ない。
 どうか、彼女が、約束を果たすことが、出来るように。
 せめて、それを祈りながら・・・。





 「ハク・・・ハク・・・・コ、ハ、ク・・・」
 弱弱しい声に、俺は目を開けた。
 燃え盛る炎の中に立ち尽くす二つの人影。
 霞む視界の中で、その二人はゆっくりと近付き、寄り添った。
 綺麗な光景だと思った。
 ひどく場違いな格好をした青年と、傷つき汚濁にまみれた少女。
 その二人はこの終りを迎える世界で異端でありながらもその場に似つかわしかった。




 神とやらも粋なことをしてくれる。
 最期に見るのが地獄絵のような世界だけではなく、こんな綺麗なものならば、多少はこの世への未練も少なくなるかもしれない。





 そのまま二人は抱き合い、やがて光へと姿を変え・・・。
 そう俺には見えた。
 二つの光は一つになり・・・そして天に昇っていった・・・。





「・・・というわけさ」
「ふうん・・・」
 感慨深そうな溜息をついた様子に俺はつい、相好を崩した。
 世界は滅びたが、人間はしぶとい。そうそう滅びはしないようだ。
 徐々にではあるが、世界は又その姿を取り戻し始めている。
 俺もあの後助け出され・・・今に至る。
 世界が崩壊すると俺は積極的にその復興のために働いた。
 そして家庭を作り、年をとった。孫にこうやって昔話をしてやれるくらいに。
「おじいちゃん、その人たち、どうなったの?」
「さあな。きっと一緒にいるんじゃないか?」
 今ならばそう信じられる。
 願わくば、あの二人に幸あらんことを。









 また、会える?
 会えるさ、きっと。





「ずっと、会いたかった」
「私もずっと、待っていたよ。この逢瀬の時を」
「ずっと側にいてね・・・?」
「ああ。ずっと・・・そなたが望む限り・・・」






『Close To The Night』のお絵かき掲示板で、まき様が描かれていた文のひとくさりと一枚の絵。その物語性の高さに、思わず掲示板で叫んでしまいました。
「是非お話化してください!」
・・・・・・いきなりのおねだりで吃驚されたことかと思います(苦笑)。快くお受けくださったまき様に大感謝! です。
このお話はまき様が書かれております『逢瀬』シリーズの最終話と相成りまして、お話化されたものは拝見できたわ、大好きなシリーズの最終話にすこしなりとも関わることができたわとうれしいことばかりでした。そのご縁で、当サイトにも飾らせていただくことができました。ありがとうございました!
このお話の『前』にあたるお話を『Close To The Night』でご覧下さいね!