楽しい気持ち


 久々の休日を一緒に過ごそうとハクに言われた千尋は、喜びいさんで、ハクのもとへやってきた。
「ねぇハク、どこに行くの?」
「どこでも良いよ、千尋の好きなところへ」
「それじゃあねぇ」
 千尋はうんうんと考え込んだ。好きなところと言ってもこちらの世界のことはよくわかっていない。どんなところがあるのかだって全くわからない。
 頭を悩ます千尋をハクは穏やかに見ていた。
「あのね、じゃあお花畑に行きたい、こっちの世界にもある?」
「あるよ。どんな花畑でも良い?」
「うん」
「じゃあ乗って」
 ハクは竜に姿を変えると、千尋を促し背に乗せた。そのまま風をはらみ空へ舞い上がる。
 竜のハクの背に乗ったことは何度かあるが、何度乗せてもらっても楽しい。車や遊園地の遊具とは全然違って、風と一体になれる気がする。どんな高い空に上がってもハクと一緒だと思えば怖くない。千尋のわくわく感が伝わったのだろうか、竜のハクは表情が見分けづらいが、少し微笑んでいるように思えた。


 空の上からでも絨毯のように敷き詰められた黄色の花畑が見えた。
「わあ!すごい」
 千尋の声に促されるように、ハクは降下して花畑に身を横たえ、千尋が背から降りると、人がたに姿を変えた。
「黄花泊夫藍(ハナサフラン)の花畑だよ。前に仕事でこちらのほうに来たときに見つけたんだ」
「すごくきれい!ハクありがとう」
 千尋が満開の笑顔でお礼を言うと、ハクも微笑み頷いた。


 そのあと2人は花輪を作って冠にしたり、お喋りをしながら過ごした。
 ハクは千尋が作った花冠を頭に乗せる事を、最初は「わたしより千尋のほうが似合うよ」と婉曲に断ったが、千尋が絶対ハクに似合うと断言し、乗せるまで諦めないのを悟ったハクは、苦笑まじりに応えてくれた。
 花冠で身を飾ったハクはお姫様みたいにきれいだった。こんなお姫様が待っていてくれるなら、王子様は必ず助けに来るねと言った千尋に、ハクは困ったように笑うと、「待っていてくれるのが千尋ならば、わたしは必ず助けにゆくよ」と言ってくれた。
 千尋は嬉しくてならなかった。ハクのように何でも出来て、優しくて頼りがいがあって、それこそ昔、おとぎ話の本で読んだような王子様みたいなハクが、言ってくれるのだ。
 いくら子供でも、千尋だって女の子だ。
 自分がお姫様になったような気持ちになる。
「えへへ」
 恥ずかしそうに笑う千尋をハクは眩しげに見つめていた。


 ハクと一緒にいるとすごく楽しいし、嬉しい。
 千尋の気持ちのいい言葉を言ってくれるからではなく、きっと何も言わないハクと一緒にいたって同じくらい楽しくて、嬉しいのだろうと思う。
 だから、いつもハクに会いたいと思うし、ハクが出張で油屋を離れるときは心配だし寂しい。
 ハクと一緒にいるだけで、心の中がほんわかと温かくなるのだ。いつだって笑い出したいくらい幸せな気持ちになるのだ。


 嬉しそうに笑う千尋に、ハクも穏やかな笑みを浮かべていたが、千尋はふと、思った。
 ハクはいつだって笑ってくれる。千尋が楽しそうにしているとき、嬉しそうにしているとき、穏やかに微笑んでそんな千尋を見ている。
 けれど、千尋は一度もハクの大笑いと言うのを見たことがなかった。
 ハクが、お腹を抱えて笑い転げる姿や、こらえ切れなくて吹き出す姿を一度だって見たことがない。
 千尋は学校へ行っていたときだって、授業中なのにこらえ切れない程の大笑いをした経験もあるし、いま油屋にいたって、時々リンと小突きあいながら笑いをこらえるのに一苦労するほどの思いをしたこともある。
 けれど、そんなハクの姿を思い浮かべることは出来なかった。

『ハクはわたしといて、本当に楽しいのかな』
『ハクは大笑いしたことってあるのかな』

 千尋は、いまだ花冠を頭に乗せているお姫様みたいなハクをじいっと見つめた。
 この花冠だって、最初ハクは少しいやそうだった。けれど、千尋が何度もお願いをしたから乗せてくれたのだ。男の子なのに。
 そうだ、ハクは男の子だった。(子かどうかは不明だけど)あんまりきれいだから千尋もつい忘れそうになるけれど、これがクラスの男子だったら絶対乗せたりしてくれないだろう。
 ハクはいつも優しいから、つい千尋も甘えてねだってしまうが、気がつかないうちに、ハクの嫌がることを無理強いしていたのかも知れない。
 そう考えると、千尋はハクの頭から花冠をとった。
「どうかした?」
「うん……。もっと楽しいことして遊ぼうよ」
「どんなこと?」
 千尋は辺りを見回した。男の子の好きそうな遊びって何だろう。千尋のクラスの男子はTVゲームやサッカーに夢中だけど、そんなことハクがするとは思えないし、だいいち道具もないので遊びようがない。ふと、大きな木が目に入った。
「木登りしようよ」
 千尋が誘うと、ハクは少し驚いた顔をした。千尋はちょっと後悔した。本当は千尋だって木に登りたいとは思っていない。もうすぐ13歳になるし、それに都会っ子の千尋は木登りの経験もない。けれど男の子のハクが楽しめる遊びと言ったら木登りくらいしか思いつかなかったのだ。
 じゃあ鬼ごっこ?2人で?それにハクが鬼になったらすぐに掴まっちゃいそうで怖いなぁ…わたし走るの遅いし…。ハクは鬼ごっこでも魔法を使うんだろうか。だったらきっと一生掴まえられないよ。見えないくらい早いんだもん。
 座ったまま考え込む千尋に、ハクは立ち上がり手を差し伸べた。
「?」
「木登りをするのではないの?」
 鬼ごっこより木登りのほうが良さそうだ。
「うん、する」
 千尋はハクの手を掴んで立ち上がった。



 木の根元まで来ると、遠目からはわからなかったほど太く大きな木だった。こんな木に登れるのだろうか。どこに足をかければいいんだろう。
「わたし、木登りしたことないの」
「ではわたしが先に登って千尋を引き上げるよ」
「えっいいの?」
「千尋は木に登りたいのだろう?」
 千尋は納得がいかないまま頷いた。確かに木に登りたいと言ったのは自分だ。けれどハクが楽しいと思うことがしたくて言ったことだったのに、当のハクは普段と同じように優しく微笑んでいるだけで、特に喜んでいる様子はない。
 おまけに、千尋を引き上げてくれると言う。そんなことしてハクは楽しいのだろうか。
 ハクはするすると木に登っていった。特に幹のでっぱりに足をかけるわけでもなく、重力など感じさせないように登ると、千尋が万歳をしてもまだ手が届かない、太い枝の上からひょいと顔を出した。
「千尋、そこに窪みがあるね。そこへ足をかけてわたしの手を掴んで」
 地面から50センチほどの所に、足をかけるのにちょうどいい窪みがあった。千尋が足をかけ手をのばすと、ハクは枝の上で腹ばいになり、千尋の手を掴もうとした。


 千尋はいいことを思いついた。
 学校で廊下をよそ見して歩いて扉にぶつかったり、バケツの水がこぼれた廊下で転んだりした時に、クラスの男子たちが大笑いしていたことを思い出したのだ。
 千尋が足をかけているところから落ちたって、たいした距離ではないし、ケガなんかするはずもない。
 そこで千尋はハクの指が触れる寸前、バランスを失ったふりをして、木から落ちてみた。


「千尋っ」
 ハクは身を乗り出し千尋を抱き取ろうとしたが、千尋のほうが一足早く、思惑通り木から落ちることに成功した。
「えへへ〜〜。落ちちゃった」
 ハクの大爆笑を期待した千尋だが、ハクは木から飛び降りて千尋のもとに跪くと
「大丈夫? 痛いところはない?」
「うん。全然平気(あれ…思った反応となんか違うような…)」
「すまない。わたしがしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのに」
「えっ(なんでそうなるの?)」
 ハクは本当につらそうな顔で目元を歪めていた。
 千尋が見たかった表情はこんな顔ではない。楽しそうに笑うハクが見たかったのだ。なのに自分のした事はハクを悲しませることにしかならなかったのだ。
 千尋は途端に後悔した。
 ハクは千尋の失敗を笑うような性格はしていない。それがケガに繋がるようなことなら尚更だ。
 わかっていたはずなのに……。
「――ごめんなさい」
「どうして千尋が謝る?」
「わたしワザと落ちたから…。ハクが笑ってくれればいいと思って」
 ハクは驚いて少し目を見開いた。
「そなたが木から落ちることを、わたしが笑うはずがないだろう」
「うん…」
 千尋はハクをちらりと見た。ハクの眉間にはシワがよっていた。
 ああ…きっと怒ってる。
 こんな顔のときのハクは、きちんと理由を説明しないと許してくれない。普段はすごく優しいハクだけど、だからこそ怒ったときは怖い。千尋は意を決してハクを見つめた。
「ハクはわたしと一緒にいて楽しい?」
 突然の質問にハクは戸惑ったようだった。
「もちろん楽しいよ。なぜ今更そんなことを」
「だってハクあんまり笑ってくれない」
「?」
「いつもハクと一緒にいて、大笑いするのはわたしばっかり。ハクはわたしといて吹き出したことないでしょ」
「確かにないけれど…」
「わたしのほうが、ハクよりたくさん楽しいのかな」
 千尋は悲しくなった。出来ればハクにも千尋と同じように楽しいと思ってもらいたい。自分ばかり楽しいのはやっぱり寂しい。
 千尋の表情が曇ったのをみたハクは
「きっと、わたしのほうが千尋より楽しいと思っているよ」
「うそ」
「本当だ。千尋が思いもよらないほど、千尋と過ごすことを楽しく思っているし、幸せに感じている。けれどわたしの気持ちを全てそなたにぶつけると、そなたは困るだろう?」
「どうして?困らないよ」
「困るよ」
「ハクが楽しかったり幸せだったりすると、わたしも嬉しいよ?」
「では、試してみようか」
 ハクの翡翠の瞳が悪戯っぽく煌めいた。
 千尋の両頬に手を添えると、すばやくおでこに唇を押し当てた。
 そして、千尋の目を覗き込んだハクは、千尋の表情を見て優美に微笑んだ。
「ほら、困った」

おわり



『真幸くあらば』の波多野 虹子様よりフリー小説を誘拐拉致監禁頂いてまいりましたv
男の子と女の子の違いと言うよりも、神様と人の子の違いと言うよりも、ハクだからこその違い、千尋ちゃんだからこその違い。そんなことを考えてしまいました。
でも、お互いの笑う顔が見たくってがんばってしまう心根に違いはないんですよね。
微笑ましいこのお話をフリー小説にして下さいました虹子様に感謝!
そして微妙にレイアウトを変えてしまったのですが、背景画像まで自作される虹子の趣味のよさに脱帽です。画像も遠慮なく頂いてまいりました。
元のレイアウトの雰囲気を味わいたい方は、是非『真幸くあらば』へどうぞ。