「ローラ様?」
返事が返らず、彼女を抜かせば国一番のお偉方、宰相殿は大いに困惑した。
「姫様?」
――ああ眠られてしまったか……。
ここのところ、忙しかったから無理もなかろうが……。
執務室の、ふかふかの椅子に腰掛けて居眠りする姫君に、毛布を取ってきてかけてやる。
国内にては重役中の重役、宰相殿の最大の執務には姫様の御守役も含まれている。
周囲には専らそういわれているが、ここのところ実態は違っている。
「……あ?シャイデック?」
「風邪をひかれますぞ」
「ごめんなさい、でもこの書類だけ何とかしなくちゃいけないのよね」
「いえ……どうぞ今日はお休みください。ここのところ働きづめではないですか?」
「そうね……。じゃあ、後は頼んでいいかしら?」
「はい、勿論でございます」
ローラも姫としての自覚が出て、大分仕事がはかどるようになった。
――もっとも、あの魔法使いがいなくなったのが大きい……
シャイデックはため息をついた。
ローラの愛人だのと称されてしまうあの魔法使いのレジーはその姫のために呪いを受け、旅にでてしまっている。姫には内緒で捜索も出しているが、行方不明もいいところだった。
「……そろそろ戻ってこられないと……」
あのままでは姫は彼を思わぬようにする忙しさで本当に体調を崩されるだろう。
「さて」
シャイデックは執務室の書類のうち、国王の署名を必要としない、自分でも肩代わりできる仕事をひきうけて、自室へ撤収した。
◆◆◆
数日後、ローラが執務室に入ると、いつもはその数時間前から待機し、今日のスケジュールを必死にチェックしていた生真面目な宰相殿の姿がなかった。
「あら?シャイデックいないの?」
近くの侍女に尋ねてみるが、
「ええ、まだ来られておられません」
皆そう返事をかえした。
「そう……なら仕方ないわね(何とかなるわよ、きっと……)」
彼も何かと忙しいし、自分でもスケジュールのチェックくらいできる。
そう判断し、さっさと仕事にかかろうとしたローラに侍女は付け足した。
「失礼ながら陛下。城内にて陛下のその日一日の実務を知っている者は宰相殿を置いておりませんが……」
「え?」
驚いたが、よく考えれば当然である。
姫君とはいえ、同時にこの国の主たる少女の仕事内容は国家の重要機密足りえる。
「仕方ないわね」
と、こんな運びで姫君ははじめて宰相シャイデックの自室に踏み込むことになるのである。
無論従者や役つきの人々は皆止めたが、ローラの性格上行くと行ったら行くことを知っていたので結果的には折れたのだ。
「何この部屋……」
書類の匂いと、古書の埃っぽい香が充満した部屋。
簡易のベッドと本棚を置いて何もないような部屋が宰相の部屋だと誰が想像しただろう。
だが、自分も一応国庫の管理を請負う人間の一人だから、と贅沢を嫌うシャイデックらしい。
「ぷっ……」
ローラは思わず、「贅沢は敵なのですぞ」と自分にお説教する彼の姿を思出だしてふき出してしまった。
有言実行とは彼のことを見てできた格言に違いない。
「さて、と……」
どうしたものだろうか。
シャイデックの姿はすぐに見つけられた。
あっさり見つかったので拍子抜けしたくらいだ。
だが……。
「起こすに起こせないわ……」
簡易ベッドですやすやとしか形容できない姿で寝るシャイデックは本人もきっと寝ているつもりはないのだろう。服は夜着にもなっていないローブのままであったし、しっかりと手には本が開かれたまま納まっているのだ。
――まるで誰かさんみたいね……
乱雑な、でも古いいい匂いのする部屋といい、一生懸命になると周囲が見えなくなる性格といい……。
「今日はお休みにしてあげよう」
運良く、唯一の家具となっている調べもの用のテーブルにあったメモに国王の執務スケジュールが書かれている。
「もしかして、これもシャイデックが組み立ててたの?」
「……ん?」
「……あ。(起こしちゃったかな?)」
半分寝ぼけたまま、宰相が半身を起こし……
「ロ、ローラ様!!」
驚いた。
しかし驚いたのはこちらもであった。
「……!!そんな声出さないでよ……心臓に悪いんだから…」
「何故……?……っ……私としたことが何時の間にかこんな時間まで!!」
「いいのよ、シャイデック。疲れてたんでしょ」
今日はお休みにして。
姫君が言って、出ていこうとしたところ、
「駄目ですぞ!私にはやらねばならない仕事が……」
生真面目な宰相殿は手を掴んで、引き止めた。
「……あのね……これ、ちょっとまずいんじゃない?」
ずざざっ
慌てて、手を離すシャイデック。
ローラはかすかに微笑んで肩を上下した。ため息にもならずただ小首をかしげる。
数瞬後、
パンッ
威勢よく、手を叩いて、
「じゃあ、こうしよう!」
「は?」
い……の声が聞こえる前にシャイデックの横までまたつかつか歩いていった。
ベッドサイドに腰掛け、
「顔出して」
……しゃき〜ん……(にやり)
なにやらわけがわからないシャイデックは取り出された、鉄製の道具に一歩退いた。
◆◆◆
「……まったく……何事かと思いましたぞ」
シャイデックはベッドに横たわっている。
恐れ多くも姫君に膝枕されて。
あわてて辞退したが取り押さえられた結果だった。
シャイデックが鉄製の道具だと思ったそれは特性の(?)耳掻きであった。
【休日にはしないから、ちょっと耳だして……】
破天荒な姫君兼国王様の提案はこうであった。
【一日やすまなくてもいいから、少しだけ休みましょうよ。
ちょっと時間遅らせても平気だから】
そうして、こんな状況に陥っているのだ。
「でも、こうするとリラックスするでしょ?」
「貴方ときたらいつも肩肘ばかり張ってるんですもの」と微笑まれて、流石の【堅物】宰相殿も心臓がドキドキするのを感じた。
――姫自ら……と引いたももう取り押さえられていた自分がなさけない。
こんなに体力が衰えていていいものか。
あるいは姫君が強すぎるのか。
シャイデックは別のことを考えて、何とか自分を落ち着かせようとした。
「レ……」
ぽろっと言葉が零れそうになって、慌てて口を閉じる。
「れ?」
ローラは流石にそれだけでは気付かず、不思議そうな顔をする。
考えこまれる前にさっさと誤魔化しに嘘ぶいてみた。
「あ、いや……レクス国との会談は何時だったかと思いまして」
「え、あれは今日じゃないわよ」
やっぱり疲れてるんじゃないの?
ローラが耳掻きを動かしながら尋ねる。
「いえ……」
レジー殿もこうして休まれていたのですか?
聞こえなくてよかったとシャイデックは笑うローラを前に思ったのだった。
こんな風に心臓に悪い、でもゆっくりとした休憩……。
――あの意外と奥手な魔法使い殿もきっとドギマギしながら、自分を誤魔化すのにもっと必死になっていただろうに……。
笑いがこみあげてきた。
「何?楽しい?」
見破られたことにばつがわるくて、宰相殿はもとの仏頂面にすぐ戻ったが、その瞬間とても楽しそうに笑っていたことは明白で、ローラにまで笑顔が感染する。
本当は逆なのだが……。
ローラは気付いていない。
自分の笑顔がシャイデックにも時々感染し始めているなどとは……。
「さ、おしまい」
そう言うまでゆったりと休憩時間を過ごし、宰相殿は逆にまた姫が気になった。
「姫様……あの、失礼ながら魔法使い殿とご連絡は……」
「取ってないわ……」
何故そんなことをきいたのかわからない。
ただ口を突いて出てしまったのだ。
笑っているローラは元気そうだったから反対に……。
宰相殿は自分らしくないミスだったと質問を後悔したが
「でも、ね」
ローラは本当の笑顔になって、
「きっと戻ってくるの、そろそろ。私の手帳も……うん、だから……」
よく分からない。
でも姫が言うならそうなのだろう。
――あの魔法使いは何があっても彼女の元に戻ってくる。
シャイデックはまた笑顔が感染し、ローラは気付いた顔を覗かせたが、今度はそのまま彼のほうが気付かずに微笑んでいた。
――戻られないと、私が姫の特技を独占してしまうぞ、レジー殿?
宰相シャイデックの身近な休日(正確には休憩時間だが)を締めくくった言葉に、遠く近い空の下、レジーがくしゃみをし、「風邪か?」と首をかしげるのはお約束の話。
その日の業務は結局一時間遅れで再開されたが、宰相も国王陛下もやたらと仕事がはかどり、予定より早く作業を終えて、翌日、本物の休日にありつけることになったのだった。
Written by MAYMOON
<コメント>
MAYMOON帝国のMAYMOON様から頂きましたっ!
宰相が良い男ですごい好きです――ッ!
ローラ姫もカワイイです。ある意味魔法使い、もう暫く帰ってこなくても良いよと思ってしまいました(笑)。
あぁありがとうございました――っ!