甘イ言葉





 「どうしてソフィーがカルシファーに水をかけても消えなかったのかなぁ?」
 今日のおやつは、大奮発の生クリームまで添えられたブラウニー。それを大きく切りとっていたマルクルがふと口にした言葉に、ソフィーの手はとまってしまった。
 そう言えばあの時は夢中だったから後先考えずに勢いよく水をぶちまけてしまったけれど、あたしってばなんてチャレンジャーだったんだろう。あれはハウルの心臓だったのに、水でびっくりして止まったりしたらハウルも死んじゃうじゃない!
 今更だけれどもあんまりにも怖くなって、ソフィーは手にしたフォークを取り落としそうになってしまった。
「ねぇカルシファー、どうして大丈夫だったんだろう?!」
 暖炉の住人と化した火の悪魔に問いかけてみるけれど、カルシファーに
「そんなことおいらが知るわけないじゃないか。たしかにおいらがハウルの心臓を持ってたけど、ハウルの心臓はハウルのなんだし」
 切り返されて、ソフィーは視線をその元の持ち主に向けるしかなかった。本来なら大慌てをしなければいけないだろうあの時の話題であるのに、普段通りの面持ちでテーブルについているハウルを。
「そんなこと簡単だよ」
 なんてことのないような口調で答える持ち主に、ソフィーもマルクルもカルシファーさえも視線をハウルにあわせた。荒地の魔女とヒンだけがおやつの続きを楽しんでいた。荒地の魔女はゆっくりゆっくりと、ヒンは大きなブラウニーのかけらを丸呑みしたところだ。
「僕の心臓がドキドキするソフィーが心臓の近くにいたのに、水をかけられたくらいで止まっていられないじゃないか」
 そうサラリと答えると、大きく切りとったブラウニーにたっぷりと白い生クリームを乗せておいしそうに頬張るハウルであった。ソフィーやマルクルが胸焼けしそうで苦しんでいるとも知らずに。ヒンまでもが喉にブラウニーを詰まらせたのか、こてんと横倒しになったまま動かなくなったのにも気付かずに。
 ただひとり(?)カルシファーだけが素直に
「あ、そっかー」
 と納得し、ただひとり荒地の魔女だけが
「愛ねぇ」
 とコメントを返せたのであった。

   * * *

「でもねぇ、やっぱり納得いかないのよねぇ」
 別に、ハウルからまた胸やけしそうな言葉が聞きたいから話しを掘り返しているわけじゃないからね!
 と念を押してから、ソフィーはまたもや『水をかけてもカルシファーが消えなかった理由』の話題を掘り返していた。今度は、皆が――ハウルまでもが揃っているおやつ時、などではなく、カルシファーと足元にうずくまっているヒンとソフィーの三人(?)きりの時だ。
「だからー、ハウルの心臓はハウルのものなんだからー、おいらが知るわけないじゃないかー」
 炉床からにょーと腕を伸ばして薪を取り込みながら、また言ってるよソフィーってば、と呆れるカルシファー。とりあえず、薪を良い塩梅の角度に整える方が先らしい。
「でも、心臓を預かってたのはカルシファーだし、燃えてたのもカルシファーなんでしょ??」
 そりゃぁそうだけどよー、そんなことまでわかるわけないじゃないかよー。
 てっきりそんな呟きがソフィーがご機嫌取りにもう一本差し出した薪の間にうずもれたカルシファーから返って来るとばかり思っていたソフィーは
「そう言えばさぁ、おいらの名付け親って、ソフィーなんじゃないかなぁ?」
 目が点になった。
「え? あたしが? カルシファーの? 名付けおやぁ??」
 いちいち疑問符つけて言うことないじゃないかよー。
 カルシファーは唇を尖らせて薪の間にもぞもぞともぐって拗ねてみせてから、今度はぼわりと大きく燃え盛ってみせた。
「だってだってだってだぜぇ? ハウルとはじめて会った時には、おいら名無しの『星の子』だったんだ。そこにソフィーが現れて、『ハウル、カルシファー』なんて言うから、おいら『カルシファー』になっちゃったんだ」
 だってだってハウルは元から『ハウル』だったんだから、残りの呼びかけはおいらにってことになっちゃうじゃないか、やっぱりソフィーがおいらの名付け親なんだー。
 大きな炎のままか細い両手をぶんぶんと振りまわして熱弁をふるうカルシファーの勢いに、ソフィーは目が点になった状態だ。だって、あの言葉が星の子の名付けの儀式になるなんて思ってもいなかったもの!
「あぁじゃぁなに? あたしはカルシファーの人生決めちゃうかもしれない名前を勝手に決めちゃったってこと? あたしはカルシファーの後継人に等しいってこと?! 親と子にも等しい関係ってこと?!」
 どうしようあたしそこまでなにも考えてなかったのよごめんねカルシファ〜〜っ!
 赤く燃えるカルシファーの炎を真正面から受けているにもかかわらず、ソフィーは頬を両手でおさえた格好で真っ青に染まった。まるで、ハウルの大げさな仕草が移ったかのようだ。
 や、ソフィー、その名前をソフィーに教えたのは『未来のおいら』だろうから、きっと名付け親はおいら自身だと思うんだけど……
 との言葉をカルシファーは飲み込んだ。たしかに『名付け親』と『名付けられ子』の絆はふたり(?)の間にあるのじゃないかと思ったので。老婆姿で城に転がり込んだソフィーを強制撤去しなかったのも、呪いを破る取り引きを持ちかけたのも、掃除中に殺されかけようとも邪険にできなかったのも――水をかけられても大丈夫だったのも、あの夜空の下に響き渡ったあの声が甘くこの身に染み渡って感じたのも、きっとここにも理由があるのだろうとわかるので。
 あれ? でも、じゃぁ、一番はじめに『カルシファー』っておいらの名前を決めたのは誰なんだろう? おいらの名前はあの時にソフィーが名付けたから『カルシファー』だけど、そのソフィーに名前を教えたのはおいらであって、でもその名前はソフィーが教えてくれて……あれぇ??
 カルシファーは『卵が先か 鶏が先か』状態の、答えの出ない疑問につかまり、ぐるぐると薪の上を踊りまわった。みるみるその色はソフィーと同じ青や、緑や、紫や黄色へと変化して、カルシファーの混乱ぶりを知らしめるのであった。
 ヒンだけがふたり(?)の混乱など我関せずでまったりと昼寝をしていたとある午後。

   * * *

「マルクル〜〜っ。ソフィーは青色で、カルは虹色だよ〜〜」
 運悪くその部屋へと帰ってきたハウルが『怖いよ〜〜っ』と自分よりもはるかに年下のマルクルに脅えて抱きついていたりしても、ソフィーとカルシファーは元に戻らないのであった。