時が途切れるその前に





 その国にあるとある学校の制服は、教える内容のイメージにそぐわない、汚れひとつ許されない真っ白なローブだ。金と青の縁取りのある、清楚にして質素、豪奢にして清潔な白のローブは、なにやら如何わしく、それでいて超然とした『魔法』の一般イメージからはかけ離れて思えた。
『魔法』とは血や肉を捧げ、呪いをかけたりする――そんなイメージが先行するであろうに――否、そうであるからこその『白のローブ』であるのかもしれない。美しいけれどまやかしににたその白。そうした闇の部分に惹かれがちになるその場の者達の戒めとして存在している『白』であるのかもしれない。

 その学校は全寮制の白亜の建物であった。国中の才能ある子供達が、貧富を問わず魔法の教育を受けていた。
 もちろん『家柄を問わない』のは建前で、内部ではあからさまに『贔屓』として家柄の恩恵を受けている者達は存在していた。
 
 その日、その学校の緑豊かな中庭を足早に通り抜けていた若者は、どちらかと言えば『家柄』と言う恩恵は薄いものではあったが、それを抜きにしても目の離せない存在であった。
 十五を越えてからぐんと伸びた長身も、この国には珍しい黒髪も、色味の薄い青い瞳も、そして形の良い唇から飛び出てくるユーモアに富んだ突拍子もない言葉達も華やかでたいそう楽しい。
 けれども、数少ない、彼を冷静に観察している人物達は――年中お気楽な性格を装っている彼を『躁鬱の波が激しすぎる』と心配していたのだが――それでも大部分はそんなことにも気付けずに、彼を『陽気なヤツ』としか認識していなかった。
 そんな彼の今の様子を見れば、誰もが驚くだろう。元から白い顔は紙のように真っ白で、明るい瞳には力がなかった。淀みきって、この上もなく生気に乏しい。まるで、生きている人間ではないかのようなうつろな目。
 足早であったのもはじめのうちで、寮が目の前にあらわれるやふらふらと頼りないものになった。動かない足を引き摺るようにして中庭を横切り、寮の白い階段を昇って行く。
 ここ数日雨ばかり続いてやっとの晴れ間であるのに、外に太陽の恵みを求めに行く人々と逆行する行動をとる白い姿は一種異様だ。
 長い階段をようやくのぼり終え、肩でもたれかかるようにして押し開けた白い扉の中に倒れこむようにして消える姿を、ついに誰も見ることはなかった。

 その学校の低学年生は四人部屋で生活をするが、最終三学年はひとり部屋を与えられる。ある意味、最終三学年になるまでに生徒数は半分を切ってしまうので、空きスペースができる為でもある。魔法使いとは総じて『努力』や『根性』で補われる種類の職業ではないので、情け容赦なくふるいにかけられ切り捨てられていく。
 その部屋の主は厳密に言えば最終三学年の年齢ではなかったが、飛び級に飛び級を重ねてひとり部屋に住む資格を得た。
 元来の整頓のできない性格そのままの、散らかしきったその部屋には、誰にも気付かれていはいけない存在が――いた。山と積み上げた魔道書や、がらくたかと見紛うほどの異物に埋もれるようにして。
「カルシファー。体が重い……」
 彼はベッドに倒れ臥したまま、その年齢にしては高度な術で作り上げた結界の中にいる『恐ろしい存在』のあたりをぼんやりと見るが、とても『見ている』ようには見えないうつろな視線だった。
「体が冷たい……」
 ぼんやりと愚痴るその言葉にも、力のひとかけらもなかった。
「……カル」
 返事のひとつも相槌のひとつも返してくれない薄情な相棒に悪態をつこうとして唇を動かすけれども、音のかわりに浅い息がもれるばかりであった。
 清潔であったはずの白いローブはすっかりと皺くちゃにされて彼の体の下に広がっていた。金色の房飾りも潰れてしまった。普段は神経質なほど衣服の清潔さには気をつけている彼であるのに。
 結界内にうずくまっている存在は、こんな状態の彼になにを言ったところで会話が成りたたないと、もうよく知っていたのでただその姿を結界越しに見つめるだけだ。
 彼の体が凍えるのと同じように凍えていく、冷たいおのれの姿を冷静に認識しながら。『冷たい』などとは一番縁遠い存在であるのに、『冷たい』を理解できるのを不思議に感じながら。
『お前、バカだよな。やっぱり』
 はじめの頃からバカだバカだと思ってたけど、おいらを隠しながらこんな学校にいるなんて、正真正銘のバカじゃなきゃできないぞ。まわりは自分より知識も経験も持った魔法使いばっかり――どんなにバカで間抜けな魔法使いばかりでも――どんなに『人間』の枠にはおさまらない存在と契約して強大な魔力を持っているとしても――あまりにもバカな所業だ。
 いつもなら黙って彼が起き上がるまで見つめているだけの『カルシファー』が、今日ばかりはバカだバカだと言葉を連ねた。彼の様子が今までで一番最悪に見えたからだろうか。死人よりも死人らしい顔色だからだろうか。けれどもその声色にはバカにした色なはなく、単調な呆れの色がひらめくだけだ。
 彼はその色も声も聞こえていないと思われていたけれど、片頬をベッドに押し付けたまま器用に笑ってみせた。なんとも弱々しい笑みであったけれど、たしかに。投げ出した手はおろか、指先さえも動かせない有様であるのに、笑ってみせた。ベッドだけは清潔な白いシーツで、大きな白い枠の窓からさしこむ光はさらに白く降り注ぎ、彼の下に黒い陰翳を作り出していて、その対比に眩暈を起こしそうになりながら。
 人ならざる者との契約に『心臓』を差し出す――その意味が『心をなくす』のだとは、場所が場所だけにすぐにわかったけれど、彼はそれ自体は――今でも後悔していなかった。今でもあの場面に立ち会ったなら、同じことをするだろう。
 後悔はしていなかったけれども、かわりに、憧憬にも似た焦りにいつも追い立てられている気がしてならない。普段は無意識に忘れ去っている『それ』に――時折こっぴどく思い知らされる、今のように。
「心がなくなったらもっと自由になるのかと思っていたのに、全然自由じゃないや。僕はこのまま『時』に追いかけられて死ぬんだろうか」
 その『時』は――なくした『心』と同じように冷えていこうとする体が追いつく『時』なのか。『おのれ』を動かしている仮初の『精神』が食い尽くされる『時』なのか。それとも――『心』を埋める予感のする『それ』についに巡り合う『時』なのか――わからないけれど。
 わからないけれど、倒れ臥したまま動けもしない彼には、これだけはわかった。時が過ぎるごとに、おのれが少しずつ食われていることに。おのれを動かしている仮初の『精神』が、目の前の火の悪魔が望む望まないに関わらず磨耗して薄っぺらくなって消えていることに。もう『それ』は元に戻ることなく減り続け、やがて『彼』は『彼』でなくなってしまう。
 彼は白いシーツに片頬をうずめながら、動かない指先を無理矢理に動かしてこぶしにしながら、ないはずの『心』で呟く。

 ……会いたい。
 運命が大きく変わったあの夜に、幻のようにあらわれたあの人に。
 淡いあの姿を、その声を思い出せば、なくしたはずの『心』が熱くなり、肉の表面に覆い被せた偽の笑みを貫いて涙がこぼれそうになる。
 そんな人が『待ってて』と言った。その言葉だけを信じて『生』にしがみついている。ばらばらになりそうな『僕』を抱えて。磨耗していく『僕』を守って。僕が『僕』を忘れそうになるたびに、その『名』を呟きながら。大切なその『名』を。はやく会いたいその人の『名』を。

 彼は、その、一瞬だけ現れたその人の姿を思い出しながら、相棒の心配げな声にも気付かずに意識を失うのだった。

   * * *

 飛び級に飛び級を重ねて、魔法学校の課程を修めたその彼は、正式な卒業の日を待たず、その学校から姿を消したのであった。




学校とか制服とか全部全部捏造ですので信じないで下さいね〜。
いえ、学校に行っている間もカルシファーはハウルの近くにいたと思うのですが、魔法使いうじゃうじゃのあの中でどうしてたのかな、と思って。カルシファーのことがばれないように、必死になって卒業まで突き進んだんだと思います。
白ローブ姿の学生ハウルが実は激しく見たいですが自分では描けないので書くだけにしときます(苦笑)。