奇跡に満ちたいつもの朝



【 1 】

 大国とは言えないけれど、小国とも言えない国。古王国とは言えないけれど、そこそこに歴史も箔もある国。
 そんな国の第二王子として私は生まれた。第二王子と言っても、長子にして第一王子とは母が違っており二十以上も年が離れているし、間に五人も姉王女達がいる。一番年が近い姉ともそれでも五歳離れていて、私の下には妹も弟もいなかった。年の離れた末の王子など余り物以外のナニモノでもない
 長子が武にすぐれ、文にも政治にもそこそこの才能があるとなると、『争いごとなど嫌い』『剣も銃も無骨だ』『兵法などわからぬでも良い』と公言して憚らないこの身など『うつけ者』『軟弱者』と呼ばわる以外は誰もかえりみもしない。
 早々に長男に王位を明け渡し楽隠居した両親からも見離されている立場をいいことに、『親善大使だ』と称してふらふらと他国を渡り歩いたり、自国ではあちこちの貴族連中のパーティに顔を出していたりする。おかげで、自国他国問わず庶民にも貴族にも顔は広く知れ渡っているが、実権にも影響力にも乏しい身の軽い放蕩王子ができあがっていた。
 そんな生活が楽しいかと問われれば、一瞬答えに窮するものの、そんなものは相手には悟られていない自信がある。何故ならそれくらいしか取り柄がないからだ。『親善大使』なんぞと言っても国情などなにも知らされていない身ではにこにこと笑って会話を盛り上げて相手の心情を良くするだけのおいしいとこどりしかできないのだから、それくらいできないでどうすると言うのだ。それはすなわち、こちらの心情などかけらも零さないのと同意だ。生まれ持った身分と人好きのする顔以外に自分でできる『努力』なんてそれくらいしかないのだから。

 そんな生活の中で出会ったのは――上品なひとりのマダムだった。

   * * *

 大国とは言えないけれど、小国とも言えない国。古王国とは言えないけれど、そこそこに歴史も箔もある国。とても似通った雰囲気を持った隣国と自国は、すこしばかり折り合いが悪かった。規模も歴史も似通っていることが近親憎悪のようになり、なにかと張り合おうとしているところがある。
 そんな隣国にお忍びで入りこみ、親しい貴族のパーティにもぐり込むのは慣れた遊びだ。身をはばかる立場ではないけれど、私の為に催されたそのパーティは『仮装パーティ』だ。誰が誰であるのかもわからぬほどに飾り立てるそのパーティに、隣国の王子ひとりまぎれ込むのはとても容易い。
 夜の闇に舞い降りた冬に渡る白い鳥を気取り、全身に白鳥の羽飾りを飾り、白い衣装に白い仮面をあわせた。虚飾にまみれた貴族の館の、その広間で取り行われるパーティに舞い降りるにしてはひとり孤高を気取っていると言うよりも滑稽さを強調しているだけではあると自覚はしているけれど、それがこのパーティの趣旨であれば滑稽も滑稽たり得ない矛盾。
 煌びやかなシャンデリアが振り撒く光のかけらさえも毒々しく、それ以上に虚しく感じる。なにを好き好んで、否、そんな選り好みさえもしないでこんな場所にいるのかがふと不思議に感じられる瞬間に襲われるのはこんな時だ。その不思議も違和感も、嘘っぽい音楽の波に飲まれてすぐに消えてしまうけれども。
 色とりどりの趣向をこらしたドレスを纏った貴婦人達と散々踊った後で、原色味のきつい怪奇的なドレスに身を包んだ貴婦人の仮装をした体格の良い友人――これでもこの国の結構有名な貴族なのだから、我が親友ながら素っ頓狂な人物だと思う――と一曲踊り終わると、さすがにひと中にも飽いてバルコニーに出た。
 そこで出会ったのだ、そのマダムに。薄い紫の衣に身を包み、バルコニーに置かれた休憩用の椅子にゆったりと腰掛けている姿はまるで女帝。冠をしていないところを見ると女教皇かもしれない。年はかなりいっているが、それは彼女のプラスになりこそすれマイナスになどなりはしなかった。柔和でありながら毅然とした面持ちやその雰囲気は、控えめな装飾の仮面の下からも匂い立つほのかな香水にも似た威厳。薄い闇の広がる、そこだけはかろうじて先祖代々の趣味のよさに救われている見事な庭を背景に、頭上では宝石を砕いて散りばめたかのような星をまさしく従えていた。
 そんな彼女が、ひとりの取り巻きもなく、賑やかな音楽や人々の笑い声をガラス一枚隔てた薄闇の中に存在しているのは、いびつにゆがんだ不可思議な絵画を見ているような印象だ。けれども、あの騒がしい、煌びやかな色や派手な音の洪水の中にいるよりも、この場所の方がなによりも似合う女性。ある意味、こんなパーティに来ていることからして驚きな、淑女。
「あなた、よくよくおもてになるのねぇ」
 こちらを、庭の飾りかなにかと勘違いしているかのような感情を含めない視線で、その視線の色と同じ色の声で言葉をかけられる。『新しい彫刻をお入れになったのね』と同じ儀礼的な声のトーンだ。
「お褒めにあずかりまして光栄です、マダム」
 けれどもここは非現実の宴。そんな態度もなんら不思議ではない。大げさな仕草で胸に手をあてて礼をし、こうべをたれる。
 背にしたガラスの向こう側では、主催者がなにかイベントを企てていたのか、狂ったような笑い声が広場に溢れた。それもガラス一枚隔てれば、それその物が『非現実』の空間であるのにさらに嘘っぽく感じられてならない。
「でもあなた、道化も大概になさいな」
 仮面から覗く口元に、ほのかな笑みが刻まれた。あるかないかの年による皺は、それでも醜い感じはしなかった。
「道化?」
 若い頃はさぞかし美人だったのだろうと思わせる頬の線や首のライン、意思の強そうな顎、なによりも強い目が印象的であるけれど、マダムの言葉も笑みほどに簡単ではないようだ。
 今日の衣装は白鳥のつもりだったのに、それを指して『道化』とは?
「おわかりにならない? 白鳥が白鳥を真似るなんて道化も良いところ。このパーティは仮装して参加するものではなかったかしら?」
 知らず眉間に寄る皺を意識せずにはいられなかった。彼女の言葉はやはり『言葉通り』に受け取ってはいけないのだろう。こんな女性が、そんな字面通りの会話を投げてくるはずがない。
 けれども、なんと言葉を返せば良いのか考えあぐねていると、マダムはさらに笑みを深くした。今までよりも『感情』を感じさせるものであったけれど――それは『楽しい』でも『面白がる』でもなく――どこか揶揄した笑み。
「そうね、あなたはそこにいるだけで人を集めるから――今度は『かかし』なんかどうかしら。たまにはひとりになるのも良いでしょう。動物も人も追い払う立場になってみなさいな」
「……マダム?」
 片手を頬にあてこっくりと小首を傾げるさまはどこか少女めいた仕草であったけれども――もう片方の手はそんな無邪気な言葉遊びを裏切っていた。少しばかり掲げられた反対側の手の指先から唐突に淡い光が生まれ、言葉の意味を考えるまでもなく私の全身を包んだ。
 杖を持っていなかったから、彼女が『魔法使い』であるのだとは思いもしなかった。迂闊以外の何者でもなかったけれど、わかっていたところで何ができたとも思えない。成す術もなく全身を光に包まれてしまった。
 痛みなどはなかった。けれども、唐突に生まれた光が同じように唐突に死に絶えた後には、すべてが変わっていた。
 二本の足を持っていたのに、そこには一本の木があるばかり。白い衣装であったはずのものも、田舎男爵のようなやぼったい黒のタキシードに。自由に動いていた腕は、ぴんと張ったまま動かない。
 そこにいたのは、彼女の言葉通り『かかし』だった。私が『私』であると証したてられるものはすべて消え失せていた。声すらも胸になにかが詰っているように発せられない。
 これでどうしろと言うのだろう? 余り物の王子であっても、いないとなれば一大事になる。それくらいの予想はつくのに、自分が自分であると叫べもしないのだ。
 なのに
「あらまぁ、まだハンサムねぇ。そうねぇ、これじゃぁ困るわねぇ」
 マダムはまだ追い討ちをかけるのだ。





・・・王子設定とか、『水砕窮鳥』内のものですから、どうか信じないで下さいね(笑)。
いえ、『血が繋がっているからと言って無条件に『家族』とくくれるものではない』の象徴が王子なんです。でも『家族』って『意味合い』もイロイロですよね。世間一般では『仲が良い』+『血縁者の最小単位』が『家族』ですけれど、『血縁者の最小単位』ではあっても『仲が良い』とは限りませんもん。そしてそんな家族は数%なんて少ない数字ではありえないのです。
世間一般が言う『家族』はある意味幻想だと思います。種の保存と言う意味では成人までの時間が長い『人間』は『仲が良い血縁者の最小単位』の方が効率がいいんだろうけど。