フォーチュン・クッキー 後編





「ちが……ちがーう! そんなことがしたいんじゃなくってっ!」
 そんな叫びは、思わずハウルに触られた耳の感触に驚いて自室に駆け込んでしまったソフィーのものであった。その感触は、ぎゅっと掴まれたわけでもさわさわと撫でさすられたわけでもないのに、背中をそわわわっとこそばゆさが駆け上がるもので、思わず逃げずにはいられなかったのだ。
「こんなのになってるの、ハウルのせいでしょっ?!」
 背中にまだ残るそわそわ感に体を震わせながら、扉の向こうから恐る恐る顔半分と片方の猫耳をぴこぴこと覗かせるソフィーの問いに、答えを持っている自分がすこしばかり悲しくなった魔法使いであった。
「うん、多分、きっと、そう」
 あぁこれが原因なんてわからなくて、
『じゃぁとっとと元の姿にもどしてよ!』
 なんて残念な台詞を言われないのならどんなに良かっただろう。つまるところハウルの思考はとことん自分が『楽しい』に忠実であった。
 相変わらずのはぐらかしはぐらかしな回答に、ソフィーは猫耳をまたもやぴんっと立てた。怒りが復活したらしく、耳先がぴりぴりと震えていた。
「どうしてこんないらないこといらないことばっかりするのよっ」
「だって仕事だったんだもん。勝手にヒトの部屋のものを食べてしまう君達が悪いんじゃない?」
 ちっとも『自分が悪い』と思っていない反省のなさ、をひょいとすくめた肩の仕草が増大させていた。
 ハウルさん、それはいらない言葉ですよー。
 マルクルは飲みかけの紅茶カップを両手で抱えて小声で突っ込みをいれるが、その場にいる誰もが聞かないふりをした。普段よりも大きい耳であろうとも、断固聞こえなかったふりだ。ソフィーの耳には偶然か故意か、その言葉は入らなかったようだけれども。ハウルの耳に入らなかったのは完全なる『故意』であろうけれど。
 そんな『家族』の性格をよぉくわかっているので、『火に油を盛大に注ぎ込んでどうするんですか、勝手にソフィーのクッキーを持っていっちゃう方が悪いだろうに』とはマルクルの内心でだけ続けられた言葉だ。さすがこの城で生活しているだけはある、『言っても無駄』の判断がつくマルクルであった。
 ソフィーは相変わらずぎゃんぎゃんとハウルに噛み付いている。
「どこにこんな耳が必要な仕事の依頼なんて転がってるのよっ」
「失礼な、ちゃんとした依頼だよ。町長からの。あのクッキーは試作品」
 どうしてこんな猫耳を町長が依頼してくるのよーっ!
 ソフィーは猫耳の先まで逆立てて遠いお空に向けて叫んでいる。
「さぁ、仕事内容がおもしろそうだったからふたつ返事で引き受けちゃったんだけど」
 あ、たしか奥さんの誕生日に贈るんだって言ってたっけ、とハウルがいらぬことを思い出すと
「奥さんを猫耳にしてどうするのよ、チョウチョウーッ」
 段々とソフィーが壊れてきた。
 ハウルはもう一度、ちらりと家の中に視線をやった。
 荒地のマダムは普段通りの定位置におさまって普段通りに読書にいそしんでいたが、その耳は興味深げにハウルとソフィーのやり取りに向いていたので、ふたりに興味津々なのだとなんともわかりやすかった。
 ヒンもいつも通りだらりとソファに寝そべっていたが、時折ぱたりぱたりと尻尾を振る仕草が『尻尾振っています』と自己主張していてあまりにもわざとらしくわかりやすかった。
 マルクルの縞模様の猫耳はすっかりと垂れ下がり、ぱたりと耳を閉じていて顔の表情とあいまって正直過ぎた。
 けれども、感情がいつもよりはっきりとわかる姿へと変わった『見慣れないもの』達の中でも、ハウルにとってやはり一番見ていて楽しいのはソフィーであった。壊れていようとも、怒られていようとも、このまま自室に連れ込んでしまいたいくらいに可愛いのはソフィー猫。
『……猫耳は男の浪漫だ、なんて町長と息投合したなんて言ったら……』
 夕食抜きくらいじゃぁすまないんだろうなぁと予測もできたので、とりあえず口にはしないけれど。ある意味夫婦仲が良くていいじゃないか、とも思うのだけれど、マンネリ打開の為の猫耳依頼だったら嫌なのでよくよく事情を聞かないでおいたなんて配慮をしたなんて、ソフィーはわかってくれないのだろうなぁ。
 ハウルは目の前でぴりぴりと動く猫耳に触りたい衝動ゲージをわきわきと無意識に動く指先に再びため込みながらぼんやりと考えていて、ふとあることに気がついた。
 そう言えば、こんな時には絶対に口を挟むヤツが全然発言していない。どうしたのだろう? いつもならもうとっくに『ハウルが悪いんだろ、素直に怒られちまえ!』と口を挟んでいるだろうに。
 視線を『ヤツ』に向けてみれば、どうしてだか薪と薪の間に隠れるようにしてうずもれていた。燃える頭のさきっぽだけが申し訳程度に覗いているけれど、『ヤツ』自身はちらとも見えない。無気味に笑う金色の反射板がゆらゆらと影と光を受けてにやりにやりと輝いて見えるだけだ。
「ソフィー、カルシファーは?」
 もうっ今までの話ちゃんと聞いてなかったのね!
 またもや胸倉をがくがくと乱暴に揺さぶってから緑の耳飾りが光っているハウルの耳元でぎゃんぎゃんと喚いていたが、それでも律儀に答えてくれるところがソフィーらしかった。
「ハウルが悪いんでしょう? 素直に怒られなさいよ!」
 おや、カルシファーの台詞をソフィーがとった。
 その、予想していたものとは微妙に違う展開に首を傾げると、カルシファーが突然薪の間から出てきた。けれどもその姿は薪を足先でじりじりと焦がすのを楽しみにしている赤い姿ではなく、ずもももももも、と巨大化して、色まで真っ青に染まっていた。所々は透き通った紫だ。
 そんな状況だったのでさすがのハウルもびっくりしたけれど――とてもとても『火の悪魔』らしい尖った目に裂けた口、なんてご面相だったので――けれども、なによりもハウルが驚いたのは……カルシファーの『顔』にぴんぴんと生えた……左右に三本ずつの……『ひげ』
 ……ぶっ。
 思わずハウルが吹き出してしまう程に、ミスマッチかつ唐突過ぎる三本ずつのひげ。そんなものが猫のようにカルシファーに生えていたのだ。その様子は青い色もあいまって遠い異国の某キャラクターを彷彿とさせたが、懸命にも誰も『ドラえもん』とは呟かなかった。もちろん、赤くて丸い尻尾がついていないか、誰も確かめようとはしなかった。
 吹き出したハウルを尖った目でちろりと睨みつけたカルシファーは、いつもの口達者が口を閉じている以上に不気味な雰囲気だ。青紫に燃える炎の先だけが怒りをあらわしているのか、シュッシュッと音と熱をもらしている。
 そんな、静かに怒れる火の悪魔を、ハウル以外は見ようとしない。露骨なまでに急いで反対側を向いたのはマルクルとヒンだ。あくまであくまで懸命な判断だと、その場に冷静な第三者がいたら評価するだろう。
 けれどもその場には、そんな懸命な判断をできない人物もいたりした。誰あろう家主である。
「やぁ、カルシファー! 随分と男前になったものだね。僕の魔法もお前の中では変質してしまうらしい。ねぇ、貴重な体験だと思わない?」
 あまつさえ、にこやかな笑みまでつけている。しかも、面白がっている笑いを噛み殺すのに失敗した、非常にぶさいくな笑みでもあった。
 ――また余計な一言を。
 マルクルだけがそう思ったが、それもやはり言葉にされることはなかった。飲みかけの紅茶はすっかりと冷めきり、あたたかいはずの火の悪魔が放出している冷気と同じくらいの温度に感じられてならなかった。

   * * *

 怒れる火の悪魔に、腹を抱えて笑いを必死で噛み殺し過ぎて眦に涙まで浮かべている、余計な一言ばかりを付け加える余計なことしかしないへたれな魔法使いがどんな目にあわされたかは――ソフィー達がそそくさと自室に引っ込むほどのものであったのだった。




この事件の後日談もあるのですが、サイト掲載はここまで。後日談ではハウルさんが更にへたれなだけです(笑)。