「あら? どうしてこんなところに?」
その日ソフィーは、滅多に入らないハウルの部屋へと掃除にやってきた。
勝手に部屋の掃除をしようものならハウルが遠回し遠回しに文句を言ってくるので(遠回しとは言ってもあのハウルであるので直接的に言ってくれた方がマシな程に鬱陶しい言いまわしであった。たまに直接的に文句を言ってくるかと思えば、そのあまりの子供っぽい癇癪に呆れ果ててしまう)ある程度はほったらかしていたのだが(中身がどうでも外見は立派な大人なのだから自室の掃除の面倒くらい自分でしなさいとも思うし、彼にだって隠しておきたい秘密のひとつやふたつあるだろうと考えるといまいち掃除をして部屋中ひっくり返すのがはばかられると言うか怖いと言うか)。
とにもかくにもソフィーはハウルの部屋を暫くほったらかしていたのだが、持ち込んだマグカップや紅茶カップやそれに附随したティースプーンやシュガーポットやらやらを机に積み上げられるだけ積み上げてくれるのはたまったものではない。家族分のお茶をいれるにも不足が出るし、なにより非衛生的だ。それらの回収のついでにちょっと部屋を整理するくらいはいいだろう。
そんなこんなでやってきた、城瓦解で一度はすっきりと何もない状態に戻ったにもかかわらずあっと言う間に光物好きな鳥の巣のようになってしまった、相も変わらずがらくたにしか見えない物達であふれたハウルの部屋で、ソフィーは『自分のもの』を発見した。正しくは『自分がつい最近もらったもの』であった。それは、上部に気取った金の飾り文字で『チェザーリ』と書かれた、洒落た紙箱だ。
やけに軽くなってしまった箱を開けてみると、十枚入っていたはずのクッキーが半分までに減ってしまっている。
「もうっやだっ。ハウルったら勝手に食べてしまったのね! これ、『チェザーリ』の記念用クッキーで非売品なのにっ」
先日妹のレティーが遊びに来た時に置いて行った非売品のクッキー。後で皆と一緒に食べようと思って棚にしまったはいいけれど、結局その日は忙しくてお茶の時間を持てず、そのままソフィーも忘れてしまっていたのだ。まさかそれをハウルの部屋で見つけようとは。
「もうっハウルの今日のお茶はなし! どうせ出かけてるんだから知らないわ!」
残りは皆で食べることにしましょう、とソフィーはいそいそとエプロンのポケットにそのクッキーをしまい込み、ハウルが貯めこんでいたとりどりの茶器を抱えて居間へと向かうのであった。
* * *
その日ハウルは、自分の家に帰ってきて、見慣れない光景を見つけて、扉を開けたままの格好で固まってしまっていた。なんとなし顔が引き攣っているようにも見えるが、それはその『見慣れない光景』に驚いていると言うよりは、
『なんてタイミングが悪い時に帰ってきてしまったんだろう、僕!』
の表情である。何故ならその『見慣れたもの』が『見慣れないもの』になってしまった原因がよーくわかっているので、それまでの展開や、これからの展開までも予想がついてしまったので。
外から帰って来たばかりの我が家から
「それじゃぁ行ってきます」
きびすを返して出かけたくなってしまったハウルの襟首をむんずと掴まえて階段上まで問答無用でひっぱり上げたのは――引きずり上げられたとも表現できる――しかもその姿は非常に格好悪かった――彼の恋人であったヒト。否、現在は猫耳をはやしたにゃんこな見慣れないお姉さんであった。
「ちょっとハウルっ! これは一体なになのよ?!」
胸倉をぐわしっと掴まれて耳元で怒鳴られるけれど、小さなヒトの耳が大きな猫耳になっていること以外はまったくいつものソフィーであったので、内心ほっとしたような残念なようなハウルであった。
歯が猫のようになっているわけでもなく、手に猫爪がついているわけでもなく、フニフニと魅力的なピンクの肉球があるわけでもなく、お尻から尻尾が生えてきてもいないようだったからだ。問答無用で襟首を引っ掴まれた後階段上まで引きずりあげられ、それから胸倉掴まれてがくがくされたわりにはよく見ていると感心せざるを得ない思考ではあったが。
まぁ、猫歯になっていたら思いっきり噛み付かれているだろうし、猫爪になっていたら思いっきり引っ掻かれていただろうし、肉球があったら思いっきり触りたい衝動に駆られるだろうし、尻尾が生えていたら思いっきり撫で上げたい衝動に駆られただろうし、どっちにしてもハウルには『害』にしかならなかっただろうけれど、猫耳だけとは少しばかり残念な気もする魔法使いであった。前者はともかく、後者はどうだと第三者から盛大に突っ込みをいれられそうな困った魔法使いの思考方向であったが。
普段のソフィーならとりあえず、まぁ、まだ、しょっぱなから胸倉を掴んで、なんてしないのに、それだけ怒っているのかと考えるとこの後の展開予想に若干修正をいれなければならないかもしれない。ソフィーが怒っているだろうことは予想済みだったけれど、とりあえず帰って来た僕の為にお茶のひとつもいれてくれて、椅子をすすめてくれて、どうしてこんなことになっているのかワケを問いただしてくるのだろうなどと考えていたところは――ザラメ入りカステラやホットチョコレート並にでろでろと自分に甘いハウルらしかった。ちなみに、どちらもハウルの大好物であった。
胸倉をがしがし揺さぶられたまま部屋の中を見てみれば、所定の位置に所定の『もの』がちゃんといたけれど……食卓テーブルにはマルクルが、ソファにはマダムが、その隣ではヒンがソファにもたれかかりふにふにした腹を全開にしてクッションの真似事をしていた。
けれどもマルクルにもぴんぴんと毛先の跳ねた茶色と黒の縞模様をした猫耳が。マダムにも黒ブチの猫耳が。ヒンに至ってはふにふにクッションの下に垂れ下がった尻尾が普段よりも長くしなやかに、しかも白く染まっており、なんともアンバランスな『見慣れないもの』になっていた。
そして目の前で怒りに逆立っているソフィーの耳は、髪と同じ色のなめらかな三角形を描く猫耳。角度によって色を変えるその毛色は、まるでロシアンブルーだ。
怒りで耳先がぴりぴりと動いているのを見つけてしまうと肉球や尻尾と同じレベルの吸引力で、どうにも触りたくなってしまって、ハウルが手を伸ばしてそれにそわ、と触れてみると
みぎゃっ!
変な声がソフィーの口から飛び出て、思わず
『可愛い』
とか思ってしまったのであった。
なんとも『我慢』の言葉からは遠いところに存在している、自分の欲望には忠実なへたれ魔法使いであった。