先生こわい





 多忙な隣国の王子様が空飛ぶお城に帰って来たその日のおやつは、焼きたてのクッキーだった。ドライフルーツやナッツをたくさん混ぜ込んだものや、くるりとしぼりだした可愛いクッキー。
 ちなみに、本日のジャスティン王子の『はじめて』は、このクッキーのしぼりだしであった。ソフィーはつまみやすい大きさに整ったクッキーをくるりくるりと天板の上にしぼりだしているのに対して、ジャスティン王子の手付きは危なっかしいことこの上なかった。へにょりへにょりとしぼりだしたクッキーもいびつで不揃いだったが、そんなことを気にする者などその城にはいないので、ソフィーも頓着せずにオーブンの天板で不揃いなクッキーを焼いてしまう。
 そんな、同じ皿に盛りつけた綺麗なクッキーと不細工クッキーをお茶請けに、城の住人達はのんびりとお茶を楽しんでいた。
 そこにどこからどう話が転がってそうなったのかはわからないけれど、おやつの話題になったのは――かつてハウルが口にした『サリマン先生こわい』発言。
「どうして、あのサリマン先生が怖いの?」
 どうせあなたが怒られるようなことをしたからなんでしょう?
 半眼になりながらのソフィーの言葉に、ハウルはむっとした表情になった。
「たしかにね、王宮でのこととか、やっていることは怖いと思ったわ。でも、そんな、会いに行くのも怖いなんて印象じゃぁなかったのだけれど」
「ソフィー、あの女は性悪よぉ。陰険だし、陰湿だし」
 チョコチップを混ぜたさっくりクッキーをつまみながら、荒地のマダムがにやりと笑った。
「いやいや、別にそれがおっかないんじゃぁないけどね……」
 むっとした次は、なぜか肩を落としてどんよりとしながらクッキーをちびちびかじっていたハウルが、ようやく口を開いた。
「サリマン先生の真の怖さはそんなものじゃぁないんだ」
 あの先生の色にどんどん染められていきそうになるのが怖いんだ……。
 ハウルはとうとう頭を抱えてしまった。どうにも顔が真っ青である。
「……染まる?」
 ソフィーの半眼がますますおどろおどろとし、マルクルは急いで手元にクッキーを幾つか確保する。話がおどろしさを増せば、クッキー皿に手を伸ばすなんて、それこそ恐ろしくてできない。
 ハウルはがばっと顔をあげてソフィーを見たかと思うと
「だって、だって、だってだよ、ソフィー! 僕は綺麗なものが好きなんだよ? どちらかと言うと、機能面より外見重視だよ? どんなに寒くたって、綺麗な薄手の上着を見つけた日には頑張ってそれを着るんだよ?!」
 それだけを叫んで、同じ勢いでまたがっくりと肩を落としてうなだれた。
 さっきのスイッチはなにだったのだろう、とカルシファーは暖炉の中で特別大きなクッキーを抱えて考える。長年付き合っていてもどうにもスイッチのオンオフがわかり辛い男である。
 あら、ちゃんと自覚あったのね、機能面より外見重視型だって。
 とは、ソフィーの心の中の突っ込みだ。そのやせ我慢をした夜には熱を出して寝込んでいるのでしょうけれど、と冷静に推測されているが、それが事実なだけにソフィーにとってはよくよく読みやすい男である。
 けれども、それとあのサリマン先生になんの繋がりがあるのだろう?
「でもサリマン先生の好みってば、掘り炬燵にどてらだったりするからはじめの頃は嫌で嫌で嫌で仕方なかったけれど、いつの間にやら掘り炬燵で蜜柑が最高なんて感じちゃったり、寒い日のどてらのあたたかさとかに気がついてしまったら……」
 あぁ怖い! 美的感覚より機能面重視になってしまうなんて! どてらなんてやぼったいし似合わないのに! 掘り炬燵でまったり梅昆布茶なんて美しくないのに!
「コタツでミカン、ウメコブチャ??」
 ハウルの頭を抱えてのうめきに、ジャスティン王子も半眼になってしまった。どこかで耳にした単語ではないだろうか、と首を傾げながら。
「ホリゴタツとかミカンとかウメコブチャがなになのかはわからないけれど……よっぽど怖いのねぇ」
「サリマン師匠直属で修行してた期間、こいつ、夜にはげっそりしてたもんなぁ。毎日毎日部屋に帰って来たら倒れ込んで、ぶつぶつぶつぶつ部屋の隅で壁に向かって不気味に呟いてたし」
 今にも変な色の『なにか』を体から放出しそうなほど陰気な様子のハウルに、ソフィーはようやく『先生こわい』の意味がわかって少しばかり同情し、カルシファーは思い出したくもない過去を思い出してしまったのが嫌だったのか、ゆらゆらと不機嫌に炎を揺らした。
 なのに、ハウルときたら頭を抱えたまままだべらべらと言い連ねている。
「階段型に引き出しがたくさんついているアンティークの収納の古ぼけた感じがまた好みだし、壁にかけてた鬼の仮面とかもうらやましかったし、自在鉤の魚も良い感じだったし、栗羊羹に渋茶が良くあうし、なんと言っても錦の着物! そりゃぁ綺麗なんて言葉じゃ足りないくらい!」
「……」
 怖がっていたわりにはべらべらと続くハウルの言葉に、住人達から言葉がなくなっていった。
 あなた、どんなにサリマン先生を怖がっていようとも……しっかりと影響受けているじゃないの。その、変なもの収集癖。それにしても、人はみかけによらないものねぇ、あのサリマン先生がねぇ、ハウルと同じような感じなんて……ねぇ?
 ソフィーは内心で呆れ果てながら盛大にため息をつく高等技術を繰り出していた。
 その『サリマン邸』の実体をよーく知るヒンは、口の周りにクッキーくずをたくさんつけたまま、うんうんと賛同するように頷くのであった。




あのマダムサリマンすらまともではいられない『水砕窮鳥』
自在鉤の魚の名前を知る為にネットの海を泳ぐこと一時間(泣)。