その日のソフィーも絶好調で、炊事洗濯掃除とこまねずみのように動きまわっていたら、時間が随分と残ってしまった。
昼食の後片付けもとうに終わり、夕食の準備をするほどの時間でもない。洗濯物はもう少し乾しておいた方がいいし、新しく掃除をしなければいけないほどでもない。しばらく買い出しに行かなくても良いほどには色々と備蓄も有る。
ソフィーは、いつもなら荒地のマダムが座っているソファに身をうずめて、ふぅと軽く息を吐き出した。
マルクルは昼食の後からハウルの宿題をこなしに図書館に行ってしまったし、ヒンも城の部屋のどこかにまたもぐりこんででもいるのか、みかけない。
それに、それに、マダムまでもが朝からお出かけ中なのである。近所に住む背がひょろりと高いレジーナお婆ちゃんと息投合し、婦人サークルに出入りするようになって数週間。凸凹コンビであるのに今日もサークルの集まりに行ってしまったのだ。
あまりにもうきうきと出かけて行くので
「お婆ちゃん、どんなサークルなの?」
と何度か尋ねてみたのだが、
「まだナイショ。ナイショだよー」
歌うようにはぐらかすので最近はその様子を微笑ましい気持ちで眺めているソフィーであった。
まぁ、その『婦人サークル』の一環で変な約束をしてこないかとの一抹の不安がなかったわけではないけれど――高額商品の購入契約とか、なにかの連帯保証人になるとか――どうにもそのあたりなにも考えなしで『はいはい』と返事しそうで怖いのだ。婦人サークルに一緒に行っているお婆ちゃんはそのあたりしっかりしているので上手く監督してくれるだろうけど。
それに、彼女は、あの恐れられていた『荒地の魔女』であったのだ。そこのあたりを考えれば、気前良くなにかを約束したりなんてしないだろう。ある意味世間を良く知っている上に狡猾な部分も残しているのだから。
カルシファーまでも、この陽気な天気に誘われたのか、散歩にでかけてしまっている。ので、空飛ぶ城は現在、飛ばない『ただの魔法使いの城』になっていた。
その魔法使いも、昼食の後にふらりと自室にこもったっきりで出てこないので、いつもは賑やかな城の中でひとりっきりな気分になってしまう。
あぁそうか。だから掃除とか、片付けとか、すぐに終わっちゃったのか。
ソフィーはこのあき時間に合点がいって、目を閉じた。つまるところそれは、それだけ皆が家事の邪魔をしていたことになるのだが、ソフィーはその賑わいがほんの少し懐かしくてならなかった。
そうこうしているうちに、なにやらうつらうつらとしてきた。精出して、そしていつもより早回しで家事を終わらせてしまった疲れと、空気がちりちりと鳴る音まで聞こえてきそうな静寂が心地よかった。洗濯物がよく乾きそうなぽかぽか陽気もまたいけない。
洗濯物が乾くまで……ちょっとだけなら、いいかしら?
ソフィーは目を閉じてそのまま眠りの海へと泳ぎ出していったのだった。
* * *
「……」
ハウルは自室からマグカップを片手に階段を降りて来たのだが、
『偉いわね、ハウル。ちゃんと持ってきたのね』
食器類を自室にため込む癖のあるハウルと、それをなんとかしようとしているソフィーの儀式にも似たいつもの言葉がなかったので不審に思いながら部屋を見まわすと、なんと誰もいなかった。暖炉の火まで落ちていて、カルシファーの不在をあらわしている。思わず口をへの字にまげて、不満そうな表情になってしまう。
「皆お留守?」
階段の途中で思わず呟いたその言葉もいやに寒々しく聞こえる。
あぁそう言えば、マルクルには宿題を言いつけてあるし、マダムは朝からお出かけしているのだっけ。ヒンは物置にひっかかって眠っているのをさっき見た。でも、ソフィーはいるはずなのに?
小首を傾げながら残りの階段を降りてみると、その残りの住人はちゃんといた。暖炉からほどほどの場所に設置した、荒地の老婆の定位置となっているソファに身を預けている、かつて老婆であった少女。その彼女が、珍しいことにうたた寝をしていたのだ。
ハウルはいつも以上に足音を忍ばせてソファへと歩み寄ると、ソフィーのうたた寝を珍しいものでも見るかのように目を丸くして見つめた後、手近のテーブルにマグカップをぽいっと音もなく放り投げた。そして自身はソフィーの隣にちょうどあいていたひとり分の空間へその長身をおさめてしまった。
ほんの少しハウルの重みでハウルの方へと体が傾いてもソフィーは目を覚まさない。隣から見る角度なんて、それもうたた寝をしている顔なんて珍しいので、ハウルもじっくりと眺めやってしまう。
すぅすぅとやすらかな寝息をたてるのにあわせて、星色の髪がかすかに揺れていた。その微妙なリズムに誘われるように、ハウルはいつの間にやらソフィーの方へと身を乗り出してしまう。小さなソファの中で肩が触れ合っても目を覚まさないどころか、ソフィーは傾いた体の安定を求めてハウルの肩に寄りかかってしまった。
ハウルは、その穏やかな穏やかなソフィーの寝顔になんの感想を口にすることもできず、肩を貸したままその寝顔に魅入るだけだ。
思えばこんな穏やかな時間など……ソフィーとの時間などなかったのではないだろうか。いつでも誰かしらがいる賑やかな城の中では、真のふたりっきりなんて有り得ないのだから。
そんなことをつらつら考えていると、ソフィーの熱とぽかぽかした空気がハウルまで心地良く包み込み、ハウルもうつらうつらとしはじめた。あたたかい午後のお昼寝、肩にかかる心地良い重み、その誘惑にハウルが抗えるわけもなく、あっさりと眠り込んでしまうのであった。
「うぅん……?」
なんだか片方だけあたたかいのだけれど、湯たんぽを用意して寝ちゃったわけじゃあないのよね。それとも、ヒンがどこかからか出てきて、隣で寝ているのかしら?
ソフィーは片側だけのあたたかさに目を覚ました。心地良い重さと質感と熱がそこにある。
「……ハウル?」
寝起きのぼんやりした視界にまず飛び込んできたのは、心持ちこちらの肩に寄りかかりながら眠っているハウルの黒髪であった。ぼんやりと視線をあげれば、伏せた長い睫毛や高い鼻梁なんかが見える。
……どうして??
思わず巨大な疑問符を大量発生させてしまう状況である。
どうして、いつの間に、この狭いソファで、ハウルとふたりっきりで、眠っていたの?! ねぇ、いつからここにいたの?! ハウルってば!
「……」
けど、とソフィーはパニックを起こしそうになる頭を抱えかけた格好でぴたと止まった。何故なら、ソファでうたた寝する魔法使いの姿を見るのはこれがはじめてではなかったし……なにより、こんなにも気持ちが良さそうに眠っている顔をしているのだから……もうソフィーの疑問なんてささやかなものだろう。
穏やかな寝息と、かすかに揺れる黒髪が頬に触れて少しばかりくすぐったい。
「あたしももう少しお昼寝しようかな」
だって空気はこんなにもあたたかくて柔らかくて気持ちが良いし、隣にはちょうどよい具合にもたれかかれる肩もある。
もう少しだけ、もう少しだけ。洗濯物ももう少し日光浴がしたいに違いないわ。
だからもう少しだけ、今日はお昼寝。