優しい夜を数えて 





あの日を境に、『夜』は『敵』になった。



 子供の頃は、眠るのが勿体無かった。
 もっと遊びたい。もっといろいろなことをしたい。もっといろいろなことを知りたい。世界は『わくわくすること』で満ちていた、それを全部知りたい。眠っている暇なんてない。そう思ってた。
 それでも、母さんが整えたベッドの白いシーツは、明日の太陽と同じ色で、そこにもぐり込むのは大好きだった。
 遊び疲れてくたくたになった体で白い海に沈み込み、窓から見える空の星を兄さんと一緒に数えている間に、夜はいつの間にか朝になっていた。

『眠り』とは、疲れた体を癒すもの。
 そして、記憶を整理するもの。
 けれども、体を持たない今の『僕』に疲れはない。
『魂』だけの生物の『僕』には、整理する記憶も『夢』もない。すべてが並列してこの空っぽな鎧に宿る不可視の『魂』に混ざり込んでいくだけだ。
 あの日を境に、『夜』は『僕』に優しくない。
『疲れ』を知り『夢』を持つ兄さんが目覚めるまで、隣のベッドで横たわっている僕の行為は単なる形だけだ。
 横たわったと同時に意識に蓋をするだけ。なにも感じないように、時の流れを意識しないように――異質感、疎外感に気がつかないように。
 

そうしないと『夜』は長くて――辛い。


 美しい夜の空も、月や星の輝きも、無言であっても共有できる誰かがいないと、その美しさも輝きも色褪せてしまう。
 じっと体を同じ体勢にしている辛さが『夜』にもあるなんて、子供の頃には考えもしなかった。鋼の体は『疲れ』とは無縁なはずなのに、それを辛いと感じるなんて思いもしなかった。

『夜』は『僕』に優しくない。特に、今日のように、いつもなら容易な意識の遮断が上手くいかない日は。意識だけの生物なのに、その『意識』が冴え渡って仕方ない日は。
 子供の頃は『夜』を超えれば『朝』が来ると思ってた。けど、この体では、『夜』は『昼』の続きでしかなくて――『朝』は『夜』の続きでしかなくて。
 平坦な時間の流れは、あまりにも苦しい。

 だからこそ元の体をとりもどす。
 子供の頃はあたりまえだったもののすべての為に。
『夜』を、明日の為の休息の時間にもどす。安息の意味を知る為に。

 それまでは意識を閉じ、指を折る。
 かつてたしかにあった、優しい夜の記憶を数えながら。




……散文。
アニメ版って、エドとアルが同室でベッドに横になっているシーンが多いですけど、よく考えたらアルのそれは『フリ』に過ぎないんですよね、だからこんな気持ちかなと。
とか思っていたら、原作11巻でそのものずばりなシーンがあってあわあわしました(単行本派なのです)。